いつも愛読しているウェッブサイトに「心のともしび 」と
いうカトリックのサイトがあるが、今日はそこでとても
素敵な話を読むことが出来た。以下、マクドナルド神父に
よる手記をそのまま転載させていただく。
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イエス様ご降誕の月を迎えると、私はいつも、本当の
クリスマスの意味を知った7歳のあの日のことを
思い出します。
時は世界恐慌、多くの人々が職を失い路頭に迷って
おりました。学校から帰った私が目にしたのは、
故郷ミシガンの厳しい北風を防いでいた、紺色の
美しいベルベットのカーテンをはずしている父の姿
でした。私は「ただいま!」を言うのも忘れ、「お父さん、
何をしているの」と尋ねました。するとそばにいた母が
ふり返り、父が勤めている新聞社のある人が、
二ヶ月ほど前に失業させられ、家族六人が、お金は
もちろん、衣類、食料さえも無くて苦しんでいること
などを話してくれました。そして、クリスマスの本当の
意味はもらうことよりも与えることにあるということ、
分かち合うことの大切さを、やさしく話してくれました。
父は暖かく重いカーテンをたたみはじめ、母は台所から
ポテトの袋を持ってきました。そして、そのポテトは
両親の手で、まるでダイヤモンドでも数えるかのように
大切に、二つに分けられていったのです。この日の
光景は今でも昨日のことのようにありありと目に
浮かんできます。
やがて父はカーテンとポテトを持って家を出ていきました。
父は失業したその人と特に親しかったわけでもなく、
宗教も故郷も全て異なっていたといいます。しかしそれは
「人類は皆兄弟だ」と教えていた父の、いかにも父らしい
行為だったと思います。当時我が家の台所にはポテト
以外何もなかったということを、後になって知りました。
クリスマスが近づくと、私は贈り物の準備とともに、
信仰深かった両親のことを思い出します。そして、寒さに
ふるえ、飢えに苦しんでいる多くの兄弟たち、「台所の
ダイヤモンド」を求めている兄弟たちのことを
考えさせられるのです。
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この話を読んで、ふとオルコットの『若草物語』を小学生の
頃に読んだ時の感動を思い出した。あの小説の中でも、
自分たちが貧しいにもかかわらず、主人公の4姉妹が
より困難にある隣人を見舞うシーンがある。あれも
クリスマスの日だ。そのシーンに遭遇し、キリスト教的な
隣人愛に幼いながらも考えさせられた。ミッション・スクールに
通って洗礼を考え始める時よりずっとずっと前のことだ。
最近、仕事や遊びに忙しく、時間に流されがちになって
いるが、クリスマスを迎えるこの時期に、クリスチャンの
私の原点になっているかもしれない、隣人愛について、
もう少し真摯に向き合いたいなと思う。もちろん、大きな
ことが出来る私ではないのだが、もっと心に余裕を
もって、少なくとも自分が接する人々に対しては、この
時期だからこそ、いつもより沢山、真心をもってお付き合い
していきたいなと感じる。