広島原爆忌 | Sleepy Scholar's Diary

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冬眠が好きな傾向は一生続く模様だが、一応、起きて
いる時には世界にも色々反応を示していきたいもの。

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今日は8月6日、原爆記念日。

二日前に広島地裁で、原爆症への国の責任がようやく認められた。

そのこともあって、今年は新聞やテレビで、昨年よりも原爆の

問題がより頻繁に取り上げられているように感じる。

いや、ただそれだけの理由ではないのかもしれない。憲法第九条の

改正が声高に叫ばれる中、過去の過ちが再び繰り返されるのでは、

と危惧する心情が沸々と高まっているため、とも言えるだろう。


実際、世界では劣化ウランが兵器として平然として使用されている。

日本国内でも戦争を知らない世代が増えており、若い世代の心中には、

戦争への恐怖心というものは皆無のように見える。


私も戦争を経験したことのない人間だ。しかしながら、両親が戦争を

体験した私たちの世代と、身近な人が誰も戦争について知らない

もう一代若い世代との間には大きな隔たりがあることは否めない。

私たちの時代には、学校で「ピカドン」や東京大空襲、(私の地方では)

大阪大空襲などについて学ぶ機会が沢山あった。先生の中には、

戦時中の生生しく恐ろしい体験を語って下さる方も多く、そのたびに、

家に戻っては親とも意見交換をして、戦争があってはならぬことだと

切実に感じていたものだ。


しかし、自分の教え子とたまたま戦争の話をする時など、そうした

緊張感を彼(女)らから感じ取ることが出来ないのが事実だ。

歴史の一部として、広島と長崎の原爆投下を捉えることはできても、

それ以上に踏み込んで議論することが出来ない。私も自分が聞いた

話を生徒たちにしてみるのだが、やはり、自分の体験ではないが

故に、心に響く話し方が出来ない。仕方がないことだと言えばそう

なのだが、若い世代に戦争の悲惨さを伝えることの出来ないことに

歯がゆさを感じる瞬間だ。


戦争を経験したことのない私でさえ、こんな風なのだから、実際に

戦争に翻弄され、原爆で今も心身を病んでいる人たちは、自分たちの

過去・現在を十分に社会に伝えられないことで、焦燥感を感じて

おられるに違いない。戦争、原爆が悪であることを知らせたいのに、

それを日本国民が「ピン」と分かってくれないことに、怒りすら感じて

おられるに違いない。


このように書いてくると、日本は再び軍国主義への道を進んで

いるのではないかと恐ろしくなってきてしまうが、そこまで悲観的に

なってしまってはいけない。まだまだ国民一人ひとりがすべきことは

残されているはず。それぞれが、自分の知っていることに基づいて

平和を希求しつつ、若い世代にそのメッセージを伝えていくことは

まだまだ可能だ。私も一人でも多くの生徒たちに、自分の聞いた

戦争体験を語っていきたい。一人でも多くの生徒が、私の話で平和を

願う心をはぐくんでくれるように。


歴史の負を担わされた原爆被害者の方々のために祈りつつ、

この広島原爆忌に、戦争の愚かさ・平和の重要性を改めて心に

刻みたい。