加賀百万石というと前田家なんです(1)前田利家 | はれ、ときどきフロンターレ

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(←前田利家公)
北陸新幹線の開通ということで、テレビも雑誌も金沢の特集が組まれていることが多くなった。
「世界ふしぎ発見!」でも紹介されてたのでとりあえず。

加賀百万石、というと前田家というのがまっさきに出てくるわけで。
その始まりは織田信長から能登一国与えられていた前田利家(1538-1599)が1580年代~1590年代に功績によって周辺の領土を与えられたことによって拡大し、その石高は100万以上だったと言えます。


ヤンチャな小姓から槍の又左へ

この前田利家、織田信長の小姓として使えており、幼名の「犬千代」から信長には『犬』と呼ばれていた。
若い時は主君・信長とはたった3つしか年令差がなかったこともあり、一緒にやんちゃしていた。背丈も6尺(当時の尺度言うと、182センチほど)もあったという。豪奢な槍を担ぎ派手な柄の衣装をまとい、短気で喧嘩っ早い性格もあって周りからは避けれていたと言われる。
元服してから、又左衛門利家として名を改めた。
その後、新設された信長の直属精鋭部隊・赤母衣衆(アカホロシュウ)の筆頭に抜擢され、槍の使い手でもあったため『槍の又左』として恐れられたほどの功績をあげていった。

写真提供:金沢市



北陸を拠点に

やがて、1581年に織田信長より能登一国を与えられ、七尾城主となり23万石を領有する大名となった。信長が本能寺の変で死去すると、一旦柴田勝家に従う形になっていたが秀吉の配下になった。そして北陸を拠点に秀吉の天下統一を支えたという。

秀吉が死ぬ直前に有力大名を集めて作った『五大老』の中にも、利家が入っている(あとは徳川家康、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川秀秋、上杉景勝)そして、秀吉が死ぬ前にわずか7歳の子息・秀頼を後継者とし、それまでの間の後見役としても託されるほどだった。


ちなみに

ちなみに、大河ドラマにもなった『利家とまつ~加賀百万石物語~』でおなじみのまつas芳春院(ほうしゅういん:1547-1617)だが、利家が20歳の時に12歳で嫁いでいる。まつとの間には2男9女と、テレビでよく放送されている「大家族物語」びっくりなほど…記録上トップらしい。
良妻賢母という言葉がぴったりだった女性らしいが、歴史的瞬間の場面で「わたくしにお任せくださいませ」などといって出てくるような人ではなかったそうな(そらそうだ)


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