今年の大河ドラマ「花燃ゆる」が始まりました。
松下村塾の吉田松陰の妹が主役、ということですが資料が少ないということでどういう表現で書かれるか気になっています。
とりあえず、放送初日にこんなのをつぶやいてたみたいです。
まあ、今回の「花燃ゆ」が出たのって、一昨年が「八重の桜」だったからね。会津の女が主役の話が出たら対抗権力の長州の女が主役の物語を!ということなんだろうね。どっちもオリジナルだし。
く (@skycafe0419) 2015, 1月 4で。
同じ時代で、別の角度から見た楽しみ方…ということで、映画になった「長州ファイブ」というのがありまして。
長州ファイブ [DVD]これ、幕末期に海外(英国ロンドン)に行っちゃった5人衆の物語ですが、帰国して学んだことをそのまま実践にいかしてる!というのがすごいなーって。当時、日本人が海外に行くというのは違反だったけど、幕府の力はなかったこともあって一地方の長州藩が派遣したというイレギュラーな形だったのです。
井上聞多(馨)
遠藤謹助
山尾庸三
伊藤俊輔(博文)
野村弥吉(井上勝)
この時派遣されたこの5人。どこかで聞いたことがあるような名前かと思いますが…それはさておき。
英語も喋れないし(「海軍(navy)」と言いたかったのに、「航海術(navigation)」といってしまったばっかりに…という話も)
頭のなかはまだ「攘夷」だし(むしろ、大半の日本人がコレだったような)
それが英国にいって、「これは『攘夷』どころじゃない!」ということで、科学技術や文化など学んできました。
そこにあったのは、日本を離れる前にいわれた「生きたる器械にならん」という言葉でした。
今の人がこういう言葉を聞くとネガティブな反応をするかもしれませんが、これは当時、お金を使って西洋のモノ(兵器、船など)を買うのが当たり前だったからです。しかし長州藩はそういうものではなく、将来的な国づくりに不可欠な人材に育ってほしいということを願ったのです。
彼らは上海経由でロンドンに入り、たくさんの技術や文化を学んできました。しかし、伊藤と井上聞多は途中で帰国(長州戦争のため)しましたが、他の3名は残って更に学んでいました。
伊藤と井上聞多を含めた5人のことを「長州ファイブ(長州五傑)」というようになったのです。今でもロンドンには彼らに関する資料が残されているといいます。
明治になって、ロンドンで学んできた長州ファイブの面々は、新しい時代の中で学んだことを活かしてきました。
伊藤博文は後の初代内閣総理大臣、井上聞多改め井上馨は後の初代外務大臣になったのはいうまでもなく。
井上勝は後の鉄道庁長官として鉄道事業に尽力し、日本鉄道の父といわれました。また、岩崎彌之助(三菱の創設者・岩崎弥太郎の弟)らと小岩井農場を設立。
遠藤謹助は日本人による貨幣制度を作り、造幣局の整備につとめました。大阪造幣局・桜の通り抜けの発案者。
山尾庸三は工業による日本の近代化に力を注ぎ、日本工学の父と言われるようになりました。また、日本で初めて聾唖学校を設立。
あまりにも身近すぎる、これらの文化などは彼らの必死さが伝わったものだと言えます。
日本の近代化というものは、5人の若者たちの存在がそもそもの始まりなのかもしれません。
そして、「モノ」より「ヒト」に目を向けた、当時の長州藩主・毛利敬親の先見の明があったのかもしれません。
