先日見たテレビで「本能寺の変」のことを扱っていました。なぜあのような出来事が起きたのか未だに謎らしく、真実は藪の中…らしいです。
簡単ながら説明を(wikiより引用)
本能寺の変(ほんのうじのへん)は、1582年6月21日(天正10年6月2日)、備中高松城包囲中の羽柴秀吉を救援しようとしていた織田信長に対して、先発させた家臣明智光秀が謀反を起こして丹波亀山城から引き返し、京都の本能寺に宿泊していた信長と妙覚寺に宿泊していた当主の織田信忠を襲撃したクーデター(事変)である。寝込みを襲われて包囲された信長は脱出を諦めて自害を迫られ、信忠は二条御所に退いて戦ったがやはり自害した。代表的な下克上の1つ。引用 - Wikipedia
ここで謎だと言われているのは、「なぜ明智光秀は(主君である)織田信長に対して謀反を企てたのか」という事への理由付け。
大体の意見として「信長にひどいことをされたからその恨み」「(下克上が当たり前だという)こういう世の中だったから」「これまでの悪道っぷりに対しての憤り」「心的ストレス」などあるみたいですが、どれなのか未だにわかりません。
ただ、1ついえるのは明智光秀が『織田信長という主君』に対してどの部分をフォーカスしていたかによって、もしかしたら人生が変わったんじゃないかと思うのです。
人間の大半は、かけている部分に目を向けがちです。
それ以外が好感持てるとしても、かけた部分が悪いものだとなおさらです。だからどんなにいい人でも「この人は悪い人だ」と認識してしまいます。
また、相手が「お前なんてXX」という言葉を投げつけられると受け取り方によっては言葉の意味ごとネガティブに解釈してしまいます。そして、かけた部分を何十倍にもフォーカスしているので、悪い部分に反応してしまうのです。
それをふまえてみて、光秀は信長の性格などをみて悪い部分をフォーカスしすぎたんじゃないかと思うのです。それ故に、ストレスによるノイローゼになっていたという話もあったので、別の部分を見ていたらまた違ったんじゃないかなと。
つまり、フォーカスしすぎた部分がほんの少しの部分の拡大版じゃなくて、他のよい部分などを見ていたらノイローゼになることもなく、本能寺の変なんて起きなかったんじゃないかなと思います。
※専門家ではないので、いくらか不足している部分があったことをご了承ください。
