【真夜中のひとしずく】限界ってなんですか | はれ、ときどきフロンターレ

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北海道から川崎に移住したのをきっかけに、Jリーグ・川崎フロンターレを応援するようになりました。

「限界って何?」と思うことが続いてます。
ちなみに、国語辞典などではこういうことを云うみたいです。

げん‐かい 【限界】
物事の、これ以上あるいはこれより外には出られないというぎりぎりの範囲、境。限り。「広葉樹分布の北の―」「能力の―を知る」「体力の―に挑戦する」

つまり、「これから先は進めないギリギリの範囲」ということ。
自分しかわからないことなんでしょうね。
ただ、身近なところではたくさんの限界があるんだなって感じます(ちなみに持論です)

1)体力的限界
身体的に感じる限界。
ex:怪我による後遺症、出産

2)環境的限界
年令や環境などでできなくなる限界。
ex:年齢制限、学歴やキャリア、お金がない

3)謙遜的限界
日本人に多い、才能はあっても最初から諦めてしまう限界。
ex:歌が上手いけど歌手にはならない

4)圧力的限界
言葉など受け取ったことなどに対して自分で思い込んでしまう限界
ex:決めつけ(お前には無理、など)

これらの限界はいろんな要素を持っていて複合していることもあるのですが、考えてみると「それ、誰が決めたの?」って思います。
特に『圧力的限界』なんてその一例で、その人の頑張り方次第にもかかわらず「あんたには無理だから諦めなさい」っていって安全な道をすすめたり…そういう経験をした人もいるかもしれません。

でも、それらの限界って誰のためでしょうか。
体力的なことはやむを得ないことかもしれませんが、周りから「お前には無理だから諦めなさい」など言われたからおとなしく諦めるとしても、本当に自分にとって正しい選択だったのでしょうか。
「限界だから諦めなさい」といった人たちには何の責任も持たないままです。何気なくいった言葉かもしれません。様子を見て「かわいそうだから」「幼いから」と思って気を遣ったのかも知れません。

彼らには何の責任も持ちませんし、素直に従ったあなたのことを一生面倒を見るつもりもないのです。

それ故に、その人たちから受け取った言葉などを心を縛る鎖みたいにする必要はありません。
限界だから諦める、じゃなくて。
ごはんを食べることができないから無理、じゃなくて。
第三者から与えられたことが限界だと判断するのではなくて。
自分の中でやれるようなことをすればいいのです。

自分の中で見据えて、「これならやむを得ない」と納得した上で決めればいいのではないかと思います。