★「絶対にブレない」ことが本当の強さなのか?
「自分軸を持ちましょう」
この言葉を見かけるたびに、
私はいいつも引っかかることがあります。
確固たる、不動のような自分軸がなければダメなんじゃないか?
と思ってしまったり
それがなんなのかわからないし、
見つけられないと悩まれる方に
多くお会いしてきました。
もちろん大切なのです。
他人の価値観に飲み込まれず、自分の感覚を見失わないことは。
それは、この時代を生きる上で確かに必要な力だと思います。
ただ、【軸】という言葉がミスリードしているかもしれません。
文字通り折れないような「軸を強く持たなければ」となれば
しなやかさが失われて、むしろ折れやすいわけです。
風が吹いても動かないように。
誰にも影響されないように。
絶対にブレないように。
自分軸が何かを知らず、
ただ強くあらねばと頑張るほど、心が折れて
何もできなくなってしまう人のなんと多いことか。
本当にしなやかな人というのは、
実は『揺れない人』『ブレない人』ではなく、
『揺れながら、ブレながらも、程よいその人らしさに戻ってこられる人』なのではないかと思うのです。
私はそれを、
自分の中の「スタビライザー」
みたいなものだと感じています。
飛行機でも、船でも、スタビライザーは
揺れをゼロにするためのものではありません。
揺れながらも、致命的に傾かないための機能です。
人の心も、きっと同じです。
まぁ老いてくると、
身体的なスタビライザーは機能不全も起こしますが💦
★ブレブレだった頃の私
実は、私自身がずっと「ブレブレ」な人生を歩んできた一人です。
子どもの頃から「周りに合わせる」ことで
生きてきた部分けっこうがあるからです。
親の言うこと。
学校の空気。
友達との距離感。
「こうしていれば大丈夫」
「こうしていれば嫌われない」
振り返れば、10代の頃の私は
ずっと誰かの正解を探して生きてきました。
そんなものを必死に読み取って、
その都度、自分を調整していました。
もちろん、それは当時の私にとって
必要な生存戦略でもあったのでしょう。
こうしていなければ居場所はない、
痛い思いをするという刷り込みも大きかったと思います。
ところがです、そもそも生まれ持ったベース?が
世間擦れした?ユニークな?個性的な?
(↑どう表現したらいいのやら)
マイワールドを持って生まれてきている私が
周りになじもうと頑張ったところで
《全部的外れ》だったりもしたわけです(笑)
まぁ当時それに気づけていたら良かったのですが
10代じゃ気づけない。
ただただ無意識に必死でした。
社会に放り出されてからは
「どうすればこの世界に馴染めるのか」と
戦々恐々としていたと思います。
思考停止していたわけではありません。
むしろ逆で、必死に考えすぎていたんだと思います。
でも、その「考え」の中心に「私」がいなかった。
自分の本音がどこにあるのかも分からず、
ただ波に飲まれないように、どうしたら私のような人間が世間に受け入れてもらえるのか?
ビクビクししていたところもありました。
まぁ今でも、かつての癖がふっと顔を出すことがあります。
ただ、昔と違うのは、
「あ、今これやってるな」と気づけるようになったこと。
それだけでも、ずいぶん違いますね。
気づけるというのは、
心の操縦席に戻ってこられるということだから。
ちなみに、私は学生時代にかなり心を病みました。
そもそもが世間擦れした?感覚なのもあってか
自分の居場所・安心できる状況が見つけられず。
そんな中で出会ったのが洋楽、マイケル・ジャクソンに始まり、最終的にはハードロック。
以降音楽の世界にのめり込んで、音楽を仕事にしていた時期もありました。
大胆に自分のやりたいことを上司に掛け合って
その熱をぶつけていたこともありました。
立ち向かっていかなければ生き残れないような
そんな世界でもありましたから。
★「こうあるべき」を手放す。
水のようにしなやかな「融通無碍」な在り方
私は「融通無碍」という言葉が好きです。
状況に応じて自在に変化しながら、本質を失わない在り方。
水みたいなものです。
丸い器に入れば丸くなり、四角い器に入れば四角くなる。
けれど、水そのものは水のまま。
逆に、形を守ることに必死になると、
人はどこか苦しくなります。
例えば、
「ちゃんとした大人はこうあるべき」
「スピリチュアルをやる人はこうあるべき」
「優しい人なら怒ってはいけない」
そんな「べき」を鎧みたいに着込んでしまうと、本来の呼吸ができなくなる。
本当に成熟した人というのは、案外、場面によって変わります。
真面目な話をしていたかと思えば、急にくだらないことで笑う。
誰かの相談に深く寄り添ったかと思えば、自分の失敗談も平気で話します。
高尚さに閉じこもらない。
だから、人が安心する。
私も、かくありたいと思います。
ありがたいことに、お客様から時々、
「ここは駆け込み寺みたいなんです」
「ミーシャさんに会うと、自分に戻れる」
そんな言葉をいただくことがあります。
それは多分、「正しい場所」を作れているからではなく、
「人間でいられる、一個人でいられる場所」になっているからなのだと思います。
綺麗事だけではない。
でも、投げやりでもない。
清濁混合のまま、人を見られる場所。
私はそういう場でありたいと思って、
この仕事を続けてきました。
★ブレた経験は、いつか誰かの灯りになる
若い頃は、ブレて当然だと思うのです。
そういうものなんだと思います。
むしろ、ブレるからこそ出会えるものがある。
今は社会が、そして時代がブレブレですから
それだけで私たちは不安になってしまうため
軸とか正解を求めようとするところもあるんだと思います。
でも、確固たる正解はやっぱりないし
この時代、自分の外に確固たるものはなくて当然かなと思います。
あちこちにぶつかり、揺れ動いていたからこそ、
私は「玉石混淆」なこの世界の美しさも醜さも、
両方知ることができました。
真っ直ぐ一本道を歩いていたら、
決して見つけられなかった「清濁あわせ呑む」経験。
それは今、私の内側でかけがえのない財産になっています。
いろんな人に出会い、いろんな感情を知り、
失敗もして、遠回りもする。
それは、決して無駄ではない。
人として道を外さない限り、
迷った時間は無駄じゃありません。
特に若いうちは。
ずっと順風満帆だった人より、
風に煽られながら進んできた人の方が、
他人の痛みの揺れ方を知っていたりする。
たくさん揺れた経験は、いつか同じように暗闇で震えている誰かを照らす、次に来る人の道を照らす、
灯りになると思うのです。
どんなに濁った水の中にも、必ず宝石は沈んでいます。
散々ブレてきた私だからこそ、
あなたの「揺らぎ」の中にある宝物を見つけるお手伝いができる。
そう信じています。
★「戻れる力」が、
あなたの中でゆっくり育っていく
そして、年を重ねても、人はブレます。
でも、昔より戻ってくるのが早くなる。
自己探究をしていく中で
自分の中に「スタビライザー」のような感覚が
育っていくのだと思います。
「あぁ、このあたりが私にとって一番心地いい場所だったな」
そうやって、自分の中心に戻っていける復元力みたいなもの。
そういう感じが自分軸なんだと思います。
絶対に揺れない鋼鉄ではなく、
揺れながらも帰ってこられる感覚。
私は、この仕事や私という存在を通して
その人の中にある【心のスタビライザー】が働くお手伝いを
この仕事を通してしているのかもしれません。
どんなに揺れても大丈夫。
あなたのその揺らぎの先に、
あなただけの「融通無碍な美しさ」があります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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