哲学・神学講座も今日で6日目。
倫理神学概論、宗教学概論にはじまり、旧約聖書(預言書)、ペルソナと個の形成、霊性神学、そして今日は新約聖書(福音)でした。

こうして見るとこむずかしいテーマばかり並んでいますが、ここは「臨床パストラルケア(スピリチュアルケア)」の看板を掲げての講義ですから、講師こそ皆さん神父さん(とはいえ博士とか教授とかです)ですけど、
結局一貫したテーマが根底に在るのは確かです。

『どう善く生きるか』
そして
『どう生きるかは、どう死ぬか。どう死ぬかは、どう生きるか』

キリスト教だけじゃなく、仏教だってイスラム教だって一緒です。 これは真理であり普遍的な事。

そんなことわかってるよって思うけど、改めて、先人達が議論を交わし続けてきた歴史と共に見てみると
なんのためにこの教えがあるのかというのも含めて、理解が深まるわけです。

私は教義的宗教論には全く興味がありませんし、教義に縛られるのは嫌いです。
だから教義ありきの宗教も苦手。

自由でいいじゃんって思うから。 しかしこの自由ほど恐ろしく自分を縛る(すべてが自己責任)ものでもあるわけです。 人間は思うほど自由じゃありません。 ほとんど自由なんてありません。

与えられている自由は、自由意志。選択の自由のみだと言っていい。 しかしその選択の自由こそが善くも悪くも人間が人間らしく生きる道でもあったりして。
そうやってみると、律法主義・教義主義が出るのも分からないでも無い・・・。原理主義になってくるとどうかとおもいますけれど。あ、個人的考えでの範囲ですけどね。


それと、ただ苦手苦手って逃げてるんじゃ中身がありません。苦手ならそれに触れないと同時に、関与しない。しかし少しでも関与するなら、だた苦手なりに、納得いかないなりに、理解する努力をした上で苦手だ・嫌いだって言わないと。

私はずっとそうして、嫌だなと思うものもちゃんと調べた上で自分にとって何が苦手なのか・嫌なのか・不可解なのかを知るようにします。
内容を知らないのに、ただ嫌いだとかって・・・そんなこと言う権利は無い。

だから深い所まで突き詰めていく哲学者タイプ/学者タイプなんですよね。まぁ、そんな学もありませんが( ̄▽ ̄;)
洞窟にこもってでもとことん突き詰めるのが好きなんで。

まぁそれはいいとして、 どんな人間でもいずれは死にます。

数十年先かもしれないし、明日かもしれません。あるいは数時間後かもしれない。 
ただ、生まれてきた以上いつかは死ぬわけです。

これは逃れようが無い。
だから先人達は「人間とは?」「生きるとは?」って悩んでは意味を見つけようとしてきました。

そこで「いかに善く生きるか=悔いの無い人生を歩むか」のために、いろんな教えが誕生したわけですね。
人生の混沌とした事柄を整理する為に。

講座も残す所あと4日間ですが、これから先の講義は人間論、生命と生の倫理、存在と真理、そして病者への霊的ケア・・・・・だんだんと身近な事柄になって、より深まってきます。

とりあえず、折り返し過ぎたら体が慣れてきたのか、疲れが抜ける様になりました。
まぁあいかわらず6時起きはキツいんですけどね(^-^;

明日も頑張るぞー♪