臨床パストラルケア(スピリチュアルケア)のポイントの1つが「無力powerless」であることです。
他者の自由意志、その心、霊、魂に対しては誰も力がありません。 体に影響を及ぼす事は出来ても、心や霊、魂に対してはそうではないという事です。
科学信仰の強い日本では、人間そのもの、体や知性、心理に対して何でも可能、何でも操作できるという思考が働きやすい。
そうなると、無力である事について納得するのは難しいでしょう。
私達人間は自分で何でも創造できるというエゴによる勘違い、誤解を完全に信じ込んでしまっているからです。
人間は何でも支配・コントロールできるという錯覚があります。
しかし、無力である事を認める事で、何でもコントロールできるという錯覚から離れ、自分を解放させることができます。
臨床パストラルケア勉強の初期段階で「救世主コンプレックス」について指摘されます。
癒したい、救いたいと考えるのは「救世主コンプレックス」から来るものだと。
本当に癒されなければならないのが自分。自分が癒される為に他者を癒す。
自分を救う為に他者を救うというものです。
誰かが誰かの魂を救う事は出来ません。 誰も。
自分の魂は自分でしか救えません。
自分で答えを出していくしかありません。
自分で覚醒することでしか何かを得る事はありません。
誰もが無力です。無力だから寄り添い、そこに繋がるという『愛』が生まれる。
何の為にスピリチュアルケアがあり、何をするのか?
側にいるんです。 心に寄り添う。それしか出来ません。 人の魂の前に誰もが無力ですから。
しかし、私達の本質が愛であるならば、それは繋がり/交わりが生じます。
だから愛において寄り添う、繋がる・・・というのがスピリチュアルケアに求められる事です。
その愛は無条件の愛でありたい。
そして
私達は誰かを許せる権利はありません。
許させていただくことはできても。
本来、誰かが誰かを、まして魂を裁く権利が無い以上、許す権利もありません。
許させていただくのです。
なかなかこういうスタンスに立つ事って難しいですが、それが真実。
「救世主コンプレックス」は癒しに関わる仕事に就く人のほとんど全てと言っていい人達がそこから始まっています。
救いたいっていう思いで癒しをする。
ある意味では私達は誰も救えません。
なのに、「私はあの人を救えなかった」と思う。
医師は特にそうかもしれません。 患者が死んでしまったら敗北を感じる医師は少なくありませんから。
そもそも救えると思っている事自体、傲慢なんです。
体の不調はある程度治せるかもしれませんし、医学に限界があれば治らない事もある。
たとえ肉体がどうであっても、その人の魂は生前救われたかもしれない。最後の最後まで頑張ってくれた医師がいてくれた事に感謝しているかもしれない。
癒すんじゃない、癒させていただく。
ゆるすんじゃない、ゆるさせていただく。
相手をするんじゃない、相手をさせていただく。
無力という真実を認められるからこそ、相手に無理強いをしないセラピー、相手が自由になれるセラピーができるのだと思います。