今月は聖母病院での臨床パストラルケア研修。その一日目無事終了。
前回の聖ヨゼフ病院とはまたひと味もふた味も違う・・・というか、聖母病院綺麗すぎ!病室も廊下も広い~♪
入院するならここ・・・というか入院しないにこしたことはありませんよ(^-^; しかもぜんぜん近所じゃないし!
しかし、出産するならおすすめしたい病院かな~
さて、今日お勉強した事から1つ。
臨床パストラルケアは別名「スピリチュアルケア」と言いまして、以下の様に定義しています。
スピリチュアルケアとは
スピリットに対するケアとは、他者(患者)が責任を持って自分自身の核を、そして核から自分らしく生きられる環境を提供し、本物(者)の自分自身になれる様に援助する事である。
その援助とは、教える事ではなく、他者(患者)自身の力を引き出す事である。 それは手伝う事により、手伝わせてもらう事である。 その為に傾聴が中心的要素となる。
・・・・・ということで、日夜それに近づく様に精進しております(半分ウソ
) いや、初日から患者訪問があったので、今この時間でも明日の患者訪問記録検討会のために書類作成してまして・・・。
現場ではもちろん、帰りの電車の中で一人反省会でどどーんと凹んで。
ほんと、無力さに涙出る。 電車の中でぼーっとしてると、自分の無力さに涙出そうになってくるので、メール打ったり、用事もないのに過去メール読んでみたりして帰ってました
この無力さは消える事のない物だと覚悟しなければなりません。
しかし、この無力さの中には、不思議と充足感が穏やかな水面の様に漂っています。
充足感と涙の反復です。 毎回毎回。
今回の研修のお題は「スピリチュアルな痛み/スピリチュアルペイン(Suffering)」
患者訪問しょっぱなから、痛烈にこれを感じた今日でした・・・。
うむ・・・お話の出来ない患者様の側に寄り添わせていただく事の難しさというか・・・
言葉も、ジェスチャーも・・・そして目の焦点もあまり合わないという状況で、いかに患者様の
スピリチュアルな叫びを聴き取るのか。
ただ、側に寄り添わせていただく・・・そしてただ、自分なりに、「あなたは大切な人です」という思いを
伝え続ける、祈り続ける・・・
これでいいのだろうか?
と自問自答や迷いが頭をもたげる。
だから、ちゃんと寄り添ったことにはなってない。迷惑なだけだったんじゃないか?
・・・と自分を責める。
しかし、正解は無い。 自分を責めるのも違う。 その時に本物の自分として出来る事しか出来ない。
自分の中に無い物で何かをする事はあり得ない。
自分の中にあるものしか出す事が出来ないのだから、今はその中での最善を尽くしたと区切りをつけるしかない。
そうやって、次の患者様の訪問前に気持ちを切り替えて・・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
そして今日の帰り道。
今日の患者訪問も至らない事ばかりだった気がする。
最初の患者様には本当に良かったのか分からないまま、やっぱり迷惑だったんじゃないかと罪悪感も頭をもたげてきた。
しかし・・・・・罪を感じた時点で患者様に失礼になる。迷惑かどうかは患者様ご自身からの訴えがあるならまだしも、自分の勝手な憶測に過ぎない。
患者様は側にいさせてもらっていいですか?というこちらの問いに、頷きで了承してくださったのだから。
感謝して、側にいさせていただいた。 そして、今自分がこの状況で出来うる限りの事をした。
・・・その事実は確かにある。
今はそれで良しとしておかなければ、無限の虚無のスパイラルに引きずり込まれて、答えの出ない問いを追い続ける事になってしまう。「今、ここ」でいられなくなってしまう。
という感じで今日はこんな風に折り合いをつけて、明日に繋げます。
前回の聖ヨゼフ病院とはまたひと味もふた味も違う・・・というか、聖母病院綺麗すぎ!病室も廊下も広い~♪
入院するならここ・・・というか入院しないにこしたことはありませんよ(^-^; しかもぜんぜん近所じゃないし!
しかし、出産するならおすすめしたい病院かな~
さて、今日お勉強した事から1つ。
臨床パストラルケアは別名「スピリチュアルケア」と言いまして、以下の様に定義しています。
スピリチュアルケアとは
スピリットに対するケアとは、他者(患者)が責任を持って自分自身の核を、そして核から自分らしく生きられる環境を提供し、本物(者)の自分自身になれる様に援助する事である。
その援助とは、教える事ではなく、他者(患者)自身の力を引き出す事である。 それは手伝う事により、手伝わせてもらう事である。 その為に傾聴が中心的要素となる。
・・・・・ということで、日夜それに近づく様に精進しております(半分ウソ
) いや、初日から患者訪問があったので、今この時間でも明日の患者訪問記録検討会のために書類作成してまして・・・。現場ではもちろん、帰りの電車の中で一人反省会でどどーんと凹んで。
ほんと、無力さに涙出る。 電車の中でぼーっとしてると、自分の無力さに涙出そうになってくるので、メール打ったり、用事もないのに過去メール読んでみたりして帰ってました

この無力さは消える事のない物だと覚悟しなければなりません。
しかし、この無力さの中には、不思議と充足感が穏やかな水面の様に漂っています。
充足感と涙の反復です。 毎回毎回。
今回の研修のお題は「スピリチュアルな痛み/スピリチュアルペイン(Suffering)」
患者訪問しょっぱなから、痛烈にこれを感じた今日でした・・・。 うむ・・・お話の出来ない患者様の側に寄り添わせていただく事の難しさというか・・・
言葉も、ジェスチャーも・・・そして目の焦点もあまり合わないという状況で、いかに患者様の
スピリチュアルな叫びを聴き取るのか。
ただ、側に寄り添わせていただく・・・そしてただ、自分なりに、「あなたは大切な人です」という思いを
伝え続ける、祈り続ける・・・
これでいいのだろうか?
と自問自答や迷いが頭をもたげる。
だから、ちゃんと寄り添ったことにはなってない。迷惑なだけだったんじゃないか?
・・・と自分を責める。
しかし、正解は無い。 自分を責めるのも違う。 その時に本物の自分として出来る事しか出来ない。
自分の中に無い物で何かをする事はあり得ない。
自分の中にあるものしか出す事が出来ないのだから、今はその中での最善を尽くしたと区切りをつけるしかない。
そうやって、次の患者様の訪問前に気持ちを切り替えて・・・。
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そして今日の帰り道。
今日の患者訪問も至らない事ばかりだった気がする。
最初の患者様には本当に良かったのか分からないまま、やっぱり迷惑だったんじゃないかと罪悪感も頭をもたげてきた。
しかし・・・・・罪を感じた時点で患者様に失礼になる。迷惑かどうかは患者様ご自身からの訴えがあるならまだしも、自分の勝手な憶測に過ぎない。
患者様は側にいさせてもらっていいですか?というこちらの問いに、頷きで了承してくださったのだから。
感謝して、側にいさせていただいた。 そして、今自分がこの状況で出来うる限りの事をした。
・・・その事実は確かにある。
今はそれで良しとしておかなければ、無限の虚無のスパイラルに引きずり込まれて、答えの出ない問いを追い続ける事になってしまう。「今、ここ」でいられなくなってしまう。
という感じで今日はこんな風に折り合いをつけて、明日に繋げます。