あーぁ・・・終わっちゃいました
毎月1回参加していた 仏教ゼミ。
去年の夏に義父と義母を続けて亡くしたのがきっかけで
いままでより「仏教」というものを身近に感じるようになっていた去年の秋
ちょうどいいタイミングでスタートだったんだけど
薬師寺の松久保さんの話は
のっけからすんごくデッカい山を見せられた感じで
仏教ナメてました、すんません!
と思うしかなかった。
松久保師の低音と
参加者みんなの声が倍音みたいに響いて
いつも泣きそうになってた。
人間を成り立たせている五つの要素、五蘊(ごうん)や
色(=肉体)
受(=感覚)
想(=想像)
行(=心の作用)
識(=意識)
八正道、十二因縁や
人間の行為である 三業(さんごう)
身(=やること)
口(=言うこと)
意(=思うこと)
など、毎回のように出て来たお話で
やっぱり人間が一番大事にしなきゃならないのは
心の在り方なんだな・・・と。
心が変わることによって態度が変わって
態度が変わることによって行動が変わって
行動が当たり前になってくることで習慣になり
習慣になってくると人格が変わり
人格が変わることで運命も変わり
最終的には人生が変わる。
すべての基本は「心」。
とにかく本当に毎回
愚かさ、情けなさ、なまけ心、いじけ心・・・
あらゆる方向から
自分を知って受け入れる「心の在り方」について
熱くアツく、教えていただきました。
3回目の時に
講義が終わった後に質問させていただいたら
本編より長く2時間以上かけて補講?してくださったこともあったなぁ。
人のことを見てうらやんだり
卑屈になったり
ちくしょーって思ったりすることもあるけど
自分と「外」の境界線をどこに引くのか?
そもそも、境界線なんて必要なのか?
誰が偉くて
誰が半人前で、なんて関係なくて
持ってるからっておごったり
持っていないからってひがんだり
そうやっていろんな感情を感じながら
感じたもの、受け取ったもの
受け継いで来ていること
それらのよりどころとなるのが心であり
唯識(ゆいしき)で
オギャーって生まれて
暮らしていくうちに
感じることが変わり
身体も少しずつ変化して
いつか誰しも終わりを迎えることに変わりはない。
境界をつくることなく
無分別であること、が悟りであり
それがお釈迦様の境地。
憂えたり
喜んだり
苦しんだり
楽しかったりもするけれど
どーでもいいや!って思いを捨てることが
悟り。
そうは言っても
人間なんて煩悩まみれで
四苦八苦(4x9=36 8x9=72 合わせて108)するけど
かたよらず
こだわらず
とらわれず
中道で生きること。
自分の受け止めたものを
輪っかのように転がしていって
どこで何を言われようが
どう思われようが伝えていくこと。
悟った!ってたとえ思ったとしても
そんなもんは ほんの一瞬で
生きているうちは涅槃
(欲や怒りやねたみ、そねみなど、一切の煩悩を吹き消した最高のさとりの境地)にはたどりつけない。
みんなそれぞれ悩みがあったり
いろんな課題があったりするけど
どんな人間にも必ず終わりがある。
よそのものを背負うのではなく(=よそおい=装い)
自分を背負って生きよう。
どれがよくてどれが悪いんじゃなく
そのまま受け止めよう。
形があるものは必ず終わりがくるけど
その人の思いや気持ちは次へ伝えていける。
恐れる気持ちはなくならないけど
遠ざけることができる。
人生はそれを学んでいくところ。
怖いかもしれないけど
みんなで一緒に行こうよ!
涙とまらなくなった。
如来と菩薩、観音様の違いも
知らなかった私だけど
毎月1度の仏教ゼミが
もうなくなるのかと思うと
ほんと、松久保ロスになりかけております。
ブーたれたり
凹んだり
サボったり
怠けたり
ほんとに煩悩まみれの人生だけど
生きているって素晴らしい!と思ったし
日本に入って来た奈良時代から1300年もずっと
心の在り方を伝え続けてきている仏教の奥深さの入り口に立てて
私の小さな世界は、またひとつ広くなった気がします。
松久保ロスになっちゃったみんなと
奈良まで追いかけて行っちゃうかも
すばらしいレポの宝庫はこちら>>
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