こんにちは
昨日は私たちのスクールネオユニバースの
開催日でした
スクールではいつもはじめに皆さんの近況の
シェアを行います
近況のシェアですから
必ず沢山の自分をみんなに見てもらう事になります
苦しい事
何故だか涙が出る事
なんでも話すようになるのは
不思議なもので
私たちを軽やかにしてくれるものですし
ジャッジをなくすワークとしてとても良いのです
もう涙が出る事なんて
ネオユニでは普通のこと
何も特別なことではありませんのよ
波だなんて出しまくった方が良いのは
もう皆さんもお解りのことだと思いますが
ただ出すということは勿論のこと
みんなにその姿をシェアできるという
素晴らしい機会となります
だからみんなウェルカム
日本では泣くことさえはばかる場面が多いもの
人間本気で生きていれば
一生懸命生きていれば
人と幸せになろうと思えば
涙するのは普通のこと
私の人生経験ですと
自分を奥深くに閉じ込める最初の一歩は
泣くことを我慢することから
私は感情的動物の典型でしたから
すぐに泣く
40歳近くになっても仕事で苦しくて泣いてました
でもさすがに職場でみんなの前で泣けないから
仕事場を出て公園で泣いたり
1回目の離婚する時も
喫茶店で話しあいしてたけど
嗚咽を出して泣いてしまい
母親が恥ずかしかったと言っていたわ
何しろ泣くことが大好きで
喜ぶことより泣くことの方が活きている感じがするほどだから
スクールに来ている人が泣いているのを見るだけで
愛おしく思えてきたりするもの
泣くというのは
ネガティブに解釈すること自体問題なのよ
リュックベッソンの映画では
ヒロインの女の子はよく泣くけど
泣くというのは全ての感情を
網羅しているものだと思うの
良い感情や悪い感情
ネガティブナ感情やポジティブな感情も無く
内側から溢れるバイブレーションに身をゆだねた
結果に起きるもの
感情に良いか悪いかを付けるのは
脳だからね
脳で感情にカテゴナイズを付ければ
もうそれだけで制限なのよ
勿論人前に出た時には
周りとの関係において
行動の一つ一つはコミュニケーションとなるから
考えなくてはいけないのは当然だけど
泣くということに対して自由さを持ってさえいれば
人前で泣くということが起きてことに対しても
より上手く他人に対処できるってものだし
相手を罵倒したり汚い言葉を使う事よりも
とても楽に感情表現ができるってもの
ちなみに人が泣いている時に
心配する人も多いと思うけど
それもどうかと思うのね
心配するなんて必要ない
それだけ人は他人が泣いているということに対して
免疫がない
おおげさになるということ
余程のことが無いと人前で泣くなんてことは無いから
泣くということは余程のことだって考える
めんどくさい
泣くということに対して
こんな面倒くさい反応しているから
泣けば済むと考えて泣くということを使う人が
出てくるのは当然
泣くということは
周りに対して行うことになっちゃうのね
もしそうやって泣く人は気を付けてね
それでは本来の意図は伝わらいことが当然になるから
コミュニケーションが心配を前提に
なってしまったりする
泣くというのはもっと爽やかに使うもの
もっとススッキリと使うことができるもので
決してこってりどんより使うものではないのよ
どんな涙も本来はすがすがしいものであることを
知るべきだわ
そうでなければ
私たちの感情は
行き場を失って
どんどん追い込まれていく
怖い事よ
そんなきつい世界がなくなることを目指して
心置きなく泣くことを人生にもたらしましょうね
思いっきり泣けばよいし
みじめにならずに泣けばよい
健全な涙こそ
美しいものなのです
そして美しいだけでなく
わたしたちにエネルギーを取り戻してくれる
泣くということは
自分の内側から溢れるものに身をゆだねる事だから
自分の内側と繋がることを確認できる
そして
その内側のエネルギーと繋がることを通して
行動した時の現実における力を知ることができる
内側
いわゆる感情と繋がった行動は
現実においてとてもパワフルであって
高いバイブレーションを放つことになる
このパワフルさとか高いバイブレーションというのは
決して人一倍とか目立つというものではなくて
自分にとってふさわしいものであるという
意味合いのものであって
必要以上のものであるという事でないのね
自分にとってふさわしいものを
しっかりと受け取ることにおいて
良いバイブレーションを放つようになる
これは
私自身の実感でもあり
沢山の人たちを見た時に間違いなく言える事
泣くことに窮屈さを感じているより
上手く泣ける
委ねていられる時といのは
周りも心地よいものでしかない
そんな人生は
素敵ではないでしょうか。




