人間だからいろんな人と過ごすわよね。
町で変な人に出会ったり、明らかに攻撃的な人に絡まれても、すぐに離れて
しまえば、よほどの物理的被害を受けない限りは、大丈夫よね。
距離を取れば苦手な人の存在はほとんど問題ない。
問題は、その苦手な人と一緒にいなければならない状況の時。。
職場や学校などがそうよね。強制的に一緒にいなければならない環境に置かれる。
元々あまり人に関心がなくて{別にいいわ}と思えるヒトもいるし、同じ場所に
いるだけでいろいろ気に障るヒトもいる。
学校でも職場でもみんな仲良くすることが美徳のようにいわれるんだけど、、
産まれも育ちも違うし、そりゃ考え方、感じ方違って当たり前。
ヒトは人間関係の中で生きている。いづれどこかで苦手な人と距離が取れない状態
にぶつかったりする。
人間関係て感情的なつながりじゃなく、立場のつながりが大事。
学校なら授業を受けて、友人と話し、自分の行うべきことを行い、家にかえる。
そのヒトと仲良くしなければと思うと、ギクシャクしていることは問題かな?
と悩む。つまりは自分の行うべきことをしっかりと行う。それで十分と自覚
することです。
職場ならどれだけ苦手なひとがいても、そのヒトがしっかりと仕事をし、応対
している人であれば、攻め口がない。
自分にやるべきことをしっかりやっていれば、苦手な人がいてもそれ以上
突っ込まれないし、立場は守られるという安心感が生まれます。
その安心感があるからこそ相手と自分は考え方も感じ方も違ってよいと思えてくる。
みんな違って当たり前だし、違う人間がいて当たり前。
自分もその中の1人としてここにいてよいと思って生きていける。
この距離こそ、聖徳太子の17条憲法に書かれている【和を以て貴しとなす}
という状態ね。
調和とはみんなが感情的に溶け合って仲が良いことではない。
皆がそれぞれの立場と役割によってすみ分けて、それぞれの場ができている状態。
その時はお互い違ってよいし違うからこそそれぞれの立場で助けあえる。。
ここで初めてヒトは心を安定させることができる。。(大場一央先生)
嫌いな人、苦手な人がいて当たり前。その大前提の上で自分の行うべきことを
淡々と行うだけ。お互いの個性を発揮してその場を作っているという感覚を
持つことです。。
維新は苦手だわ。税金の無駄使いばっかで、都構想と2度の知事、市長選で
128億の無駄遣いよ!学校給食オ-ガニックにできたわね。
で、、これから特別区にするのに初期の費用だけで400億だって!
維新の政党から出して!




