今日のダーリン(ほぼ日刊イトイ新聞)より | わくわく♪ トランスポーター TAKAKO

わくわく♪ トランスポーター TAKAKO

happy と happy をつなぎます
助け合い 励まし合い 高め合う
仲間ってステキだなって思います
かゆいところに手を届けます

ほぼ日刊イトイ新聞の
「今日のダーリン」
というエッセイのような日記が好きです

ほぼといいつつ、休んだことのない新聞
イトイさんいわく
「追われてる感がリアリティを生んでいる」
らしいですが・・・

音楽でいうところの即興演奏みたいなもの。
それでいて、いい話が多い!

いやはや、これこそプロの技ってやつなのでしょうね。

そして!!
その日限りしか読めないんですよね。

1日限りのエッセイ。

もう、読むことのできないという心理が働き
そこが惹かれる一つの要因なのかも







今日のダーリン

・マーケティングなんかの話題で、よく、「お客さまの目線で」なんてことが語られる。けんかや争いごとがあったりすると、「相手の立場に立って考えてごらん」と言われる。

どうしても、人間は身びいきになるもので、じぶんのほうが、まるまる正しいように見えるし、相手のやることは、ぜんぶまちがってるくらいに思える。他人と他人が争っている場合、しかも、そのことについて、じぶんに関わりがない場合というには、「おたがいに、相手の立場になって考えればわかるのに」などと、しれっと言ったりもできるのだけれど。じぶんや、じぶんの仲間がからむと、そういうふうには考えられなくなるのだ。どうやら、おそらく、それは人間の属性なのだ。

しかし、じぶんの側からの視点ばかりでなく、相手側から、あるいはどこかのだれかさんの視点で、ものごとを見られるようになったら、どれだけかいいだろうと思わないか?ぼくは、ずっとそう思ってきた。思うだけではなんともならないので、練習をしてきた。

例えば、ボクシングの試合を観ているときに、どちらかが日本人の選手だった場合に、「がんばれ」と無意識に応援してしまうことがある。そういうときに、なんとか意識的に、相手を応援している視線を、あえて持つようにするのだ。外国人選手のパンチが、日本人選手にあたったとき、「入った! よし!」となかなか思えるものではない。だから、練習なのだ、その練習をすることで、そういう視線で観戦している人がいることを知るし、その視線を持った人がなんにも悪くないことを知る。

こころから相手の立場に立つなどということは、ほんとうにできるものではないとも思う。ただ、それを試みたり練習することはできる。「じぶんが、あいつだったら」と乗り移ってみるのだ。それは、じぶんのためにも他人のためにも、いいことだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。高度だけれど、ラブシーンを性を換えて見るという練習も。
オトナ語の謎。 [ ほぼ日刊イトイ新聞 ]
¥637
楽天
できることをしよう。 ぼくらが震災後に考えたこと/糸井重里/ほぼ日刊イトイ新聞【後払いOK】【...
¥810
楽天