前回からの続き(11月2日のこと)です
堀川通りを下って行きます
すると、次の万寿寺通りを西に少し入った所に大きな題目碑がありました
本圀寺跡
住所・京都市下京区万寿寺通堀川通西入柿本町
その横にあった駒札

朝鮮通信使ゆかりの地
本圀寺跡
江戸時代、日本が朝鮮国から招いた「朝鮮通信使」は京都で滞在した。そのうち本圀寺は1636(寛永13)年以来定宿とされ、七回にわたり、一行約四百名の宿館として用いられた。当初、本国寺と言う名であったが、中国や朝鮮の学向に憧れ、江戸で朝鮮通信使とも交流した徳川(水戸) 光圀の帰依をうけて、のちに本圀寺と改めた。朝鮮通信使が来ると将軍の名代として代々の京都所司代が一行に挨拶に来て、饗宴を催すこととなっていた。1764(宝暦14)年の通信使の随員であった金仁謙(キムインギョン)の記録『日東壮遊歌(にっとうそうゆうか)』によれば、当時の本圀寺は相輪をもつ五層の楼門があり、石や木竹を配した庭はよい趣があったという。1711(正徳元)年の『朝鲜人来聘二付、公儀(幕府) ヨリ被仰出状御書付』という文書によれば、松陽院、本実院、 松林院、本栖院、久成院など多くの坊舎塔頭が一行のために用いられたことが記されている。
なお、本園寺は1971(昭和46)年に山科こへ移転した。
(原文のまま)
そんな山科へ移転した本圀寺へは以前行ったことがあります
どちらもアップで

前を通っているのは万寿寺通りになります(西向き)

この日のことも次回で最後です
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ
