前回からの続き(7月21日のこと)です
東堀川通り沿いの歩道を上がって行きます
今度は二条通りと交わる角に石碑があります
橋本左内寓居跡

住所・京都市中京区東堀川通下る東側
石碑の方アップで

駒札をアップで

橋本左内寓居跡
橋本左内(さない)は福井藩士で幕末の志士。安政5年(1858) 2月から4月まで、 この地にあった福井藩邸に居住して、活躍した。
左内の号は景岳(けいがく)。福井城下に生まれ、大阪、江戸で洋学、医学を学び、藩主松平慶永(よしなが)に認められて藩学明道館の幹事となった。
1857年の藩政改革には由利公正ら手腕を振るった。折から幕府の将軍継嗣問題が起こり、藩主を先頭に、一橋慶喜を立てる運動を展開。左内は藩命を帯びて江戸より京都に来て、桃井亮太郎又は桃井伊織の変名の下、ここを根拠にして盛んに活躍した。しかし、井伊大老の就任によってこの運動は失敗し、それのみか、左内は牢舎に入れられ、1859年安政の大獄によって死刑に処せられた。
時に年26才。
京都市
(原文のまま)
橋本左内という人は聞いたことがありましたが、こんなに若くに亡くなっているとは知りませんでした💦
安政の大獄ではこの様な優秀な人材がかなり失われたのではないかと思います😣
大河ドラマ、来年は豊臣秀長が主人公ですが、その次(再来年)は幕末の小栗忠順ということなので、もしかしたら橋本左内も出てくるかもしれないですね?😄
この日のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ