前回からの続き(9月27日のこと)で、燕申堂の続きです


最初に入った部屋の隣の部屋の横に廊下がありました
その天井がまた凝ってる😆

反対側から見たところ

縁側部分

その天井

そこから見える庭園


こんな大きな手水鉢?もありましたあんぐり

飛び石とかも大きかったり

最後の部屋を隣の部屋から見たとこ

全体

この木も珍しいものでした



掛け軸

これは上の部屋から隣の部屋を出て、反対の窓の方へ行ったものです

これは上の窓側の部分

窓から外を眺める

右側の建物は、今回公開されなかった部分です

公開されなかった建物に繋がる襖

前回も解説がありましたが、少し内容が違っていたので、こちらも文字起こししておきます😌
渉成園の歴史
渉成園の歴史は、1641 (寛永18)年に、三代将軍・徳川家光から土地の寄進を受けたことに始まります。
東本願寺第十三代・宣如上人が、1653 (承応2) 年に退隠した際、現在の渉成園の土地を隠居所と定め、居住地と庭園の整備が本格的に進められます。 作庭は詩仙堂を開いた石川丈山と伝えられています。
十四代・琢如上人以後、東本願寺歴代の隠居所となり、また、茶室や書院も整備され、来賓をもてなす迎賓施設としての役割も担ってきました。江戸時代後期には、儒学者で漢詩人でもある頼山陽が『沙成園記」を記した中で、主な景色を「渉成園十三景」 として紹介しています。
渉成園は、かつて幾度かの火災によりその都度再建され、現在の建物は1864 (元治元) 年の蛤御門の変による火災以後に再建されたものです。
(原文のまま)

こんな感じで、なかなか貴重なものを見ることが出来ました😆
紹介してくれてたブロ友さんありがとうございました😌

この日のこと続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ