前回からの続き(9月27日のこと)です
桂川沿いを西へ向かいます
すると右手の料亭のような所の入り口に、解説板や石碑がありました

住所・京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
源氏物語ゆかりの地
大堰の邸候補地

大堰の邸候補地
桂川の嵐山周辺を大堰川、その一帯を大堰と呼ぶ。平安時代の初期からこの近辺は景勝地とされ、多くの皇族・貴族は好んでこの地を訪れ、船を浮かべるなどして詩歌管絃の遊びを行った。恒例となった五月の車折神社の「三船祭」は、大堰川での船遊びを再現したものである。
『源氏物語』「松風」には明石上が母の尼君、娘とともに大堰に住む描写があるが、その場所が「大井(堰)川のわたりにありける」とあることから、この居所の推定地の一つとして、平安時代前期の桓武天皇の大堰離宮が挙げられる。その近くには光源氏の御堂(現在の清凉寺付近) があった。
1988年に当敷地内で行われた発掘調査では、平安時代前期の遺物を伴う園池跡が見つかり、桓武天皇が度々行幸された大堰離宮跡である可能性が高い。
平成20年3月 京都市
(原文のまま)
画像アップで
玄関の反対側には
明治天皇行在所 山中邸阯

こちらは明治10(1877)年、明治天皇が関西行幸されたとき、ここにあった山中献邸に立ち寄られ昼食を取られたんだそうです
この頃、西南戦争が勃発し、長期化したため京都には1月28日〜2月6日、2月16日〜7月28日まで滞在されたということです
山中献
1822〜1885年
幕末の志士
書画、詩文に優れる
明治維新後は官史となる
この頃にはここに隠棲していた
(いしぶみデータベース参照)
この日のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ
