前回からの続き(令和7年9月6日のこと)です
関橋を渡り、東へ向かうと御前通りに当たります
Googleマップを見ていると、どうもその辺りが御土居のようでした

住所・京都市北区衣笠東開キ町
駐車場・コインパーキングは近くにあり
御前通り沿いに解説板がありました

御土居(おどい)
平成28年に行われた発掘調査で、御土居の堀と土塁の基底部が確認されました。
御土居は、天正19(1591)年豊臣秀吉によって築造され、京都の町を北は鷹峯、 東は鴨川、南は東寺、西は紙屋川を結ぶ総延長22.5kmを土塁と堀で囲ったものです。 築造目的は幾つかの理由が考えられており、京都の範囲の明確化や外敵の侵入防止などさまざまな役割を果たしたとされます。
ここで確認した御土居は、紙屋川の段丘斜面に土を盛り、土塁を構築していたことが明らかになりました。土塁の幅は中段に設けられた犬走 (幅約3m)を含め、 約20mと推定されます。堀は深さ約6m、幅は周辺の地形から約16mと推定されます。堀底から土塁頂上までの高さは9mにもなると推定されます。
(原文のまま)
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発掘調査のようす

御土居横断面図

御土居全体図

この階段とかが土塁の部分?🤔

階段上がった上の道路が土塁の褶(ひらみ)という部分かと思いましたが、土塁の褶部分は今は無いようです?

↑南側
北側

階段を降りて、マップで御土居に関係するものが表示してあったので北上してみます

この石垣がある法面とか御土居だったんでしょうかね!?🤔
階段から少し歩くと、家の駐車場のような所に解説板がありました

御土居の排水溝
平成28年に行われた発掘調査で、御土居の土塁の中を貫通する排水溝が発見されました。
排水溝は、土塁東側にある取水口は開渠となっていますが、土塁部分では暗渠となっていました。暗渠は、幅1.5mの溝を開削し、さらにその中央部を幅0.4m、深さ 0.7m掘下げてその中に栗石(ぐりいし)を詰めていました。水はこの栗石の間を流れる構造となっています。また、この暗渠の部分は、土塁を一定の高さまで構築したのちに開削して作られたと考えられます。なお御土居の排水溝は、ここより約1km南の北野天満宮境内に残る御土居で確認された石組暗渠に次ぐ2例目の発見となりました。
(原文のまま)
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探しきれなかったのかなぁ?🤔
この辺りのこと続きます😌
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ