前回からの続き(9月6日のこと)です
千束坂を上がると、三叉路から先は鷹峯街道となります
その三叉路から少し行った左手にある(ちなみに右は光悦寺)のが
圓成寺(えんじょうじ)

住所・京都市北区鷹峯北鷹峯町24
通称・岩戸の妙見さま、鷹峯の妙見さん
御本尊・一塔両尊四士(三宝尊)
HP・圓成寺
札所・洛陽十二支妙見めぐり(亥)
駐車場・無料のがあり
由緒

岩戸妙見宮 圓成寺
由緒
当山は清雲山圓成寺と号し日蓮宗の寺である。平安京の大極殿から北に位置するこの鷹ヶ峰一帯の山々は「北山」と呼ばれる聖地であった。皇城北方鎮護(おうじょうほっぽうちんご)の官寺「霊巖寺」があり、平安京総鎮守の「妙見大菩薩」が祀られていた。 中世には廃れていたこの旧跡を寛永7(1630)年7月1日、本山本満寺二十一世圓成院日任(にっとう)上人が一条家の懇情により、この地に当山を創し改めて法華勧請し日本第一の妙見霊場を復興された。
「岩戸妙見宮」は古墳状の石窟造りで、内陣には大亀(だいき)の背に足を踏まえ、右手に剣を左手に蛇を握り頭上に北斗七星を戴いた六尺余の石像「岩戸妙見大菩薩」が鎮座され、霊験顕著にして威徳盛んである。
毎月1日、15日がご縁日でお開扉日とされ、 諸願成就のご祈禱が執行されている。
(原文のまま)
後山の墓地には、三宅亡羊一族のお墓があるそうです
三宅亡羊(寄斎)
1580.1.17〜1649.7.27
安土桃山末期から江戸初期の儒者
岸和田出身
父は豊臣秀吉の臣
11歳で父を失い仕官を断念
伏見、京都に遊学
大徳寺で読書力行を重ね、藤原惺窩などの師友を得る
生計のため、医業に従事
学問は多岐に渡り、殿上人や武将に広く信奉される
後陽成、後水尾両天皇にも進講した
香、茶、挿花にも秀でる
慶長年中に後陽成天皇より、鷹ヶ峰の地に四0町四方の墓地を賜下されたとの言い伝えがあるそうで、後陽成天皇に進講したこと、後山に一族の墓があることと符合しそうです
(朝日日本歴史人物事典、京都・山城 寺院神社大事典参照)
先に進むと山門が見えてきました

山門の所に撮影を禁ずとあったので、画像はここまでです😅

山門くぐったすぐ左手に授与所(寺務所)がありました
そちらで御朱印(御首題)が頂けます
拝観料は言われませんでした
本堂や妙見宮で気持ち納めたらいいという感じでしょうか!?
この時、行ってからこちらが洛陽十二支妙見めぐりの札所だということが分かりましたが、下調べせずに行ったので後の祭り
境内が紅葉したら見事な感じだったので、今回は御首題だけ頂き、秋にまた訪れることを言って次に向かいました
こちらで頂いた御首題(300円)です
この辺りを巡って行きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ

