前回からの続き(5月17日のこと)で、東大寺の続きです

大仏殿を後にして、二月堂とか行きたかったのですが、時間も時間だったので、もう1ヶ所見れそうな所へ向かいました

大仏殿から左方向へ向かいます

大仏殿の回廊を見る
鹿はうまい具合にカメラ目線🤣

公園内を進んで行きます

そ、目指すは戒壇堂

門の前まで来ましたが、タッチの差で間に合わなかったようです😂

解説

東大寺戒壇院(戒壇堂・千手堂)
  東大寺戒壇院は、奈良時代に戒壇が設置された下野薬師寺・筑紫観世音寺と共に、 日本で初めて正式に戒を授ける常設の場所として創建されました。現在の戒壇院は 「天下の三戒壇」と呼ばれた往時の伝統を今に伝えています。「戒」とは僧侶として修行する者が守るべき規範で、授戒とはその「戒」を授かることです。日本では鑑真の来日によって正式な授戒の制度が確立したと考えられています。
  天平勝宝6年(754)、唐から来日した鑑真が聖武太上天皇ら440人余りに、大仏殿前で壇を築いて戒を授けました。翌年、改めてその戒壇の土を移して戒壇堂が建てられ、それを中心に戒壇院が創建されました。
  創建当初の建物は治承4年(1180、平安時代)の兵火で焼失し、鎌倉時代に東大寺を復興した大勧進重源栄西行勇らにより再建されました。当時の戒壇院は、 中門と戒壇堂(受戒堂)、そして講堂が南北に並び、中門と戒壇堂が廻廊で結ばれていました。また、戒壇堂と講堂を取り囲むように東西と北面には僧房が設けられていました。さらにはその外側に経蔵、鐘楼、僧堂、千手堂などたくさんの建物があったことが古図(戒壇院指図)から知られます。しかし、この再建された建物も文安3 年(1446、南北朝時代)の火災、永禄10年(1567、戦国時代)の三好・松永の兵火により焼失しました。その後、慶長10年(1605、江戸時代)に現在の千手堂(階段上左手)が再建され、享保17年(1732、江戸時代)に現在の戒壇堂(階段上正面)が慧光によって再建されました。
  戒壇堂内にある戒壇は土壇で、壇上中央に多宝塔が置かれ、その中に釈迦如来像と多宝如来像が安置されています。この多宝塔は江戸時代に造立されたものですが、それまでも壇上に仏塔が置かれていたことが史料からわかっています。また、 戒壇を守護する奈良時代の四天王立像(国宝)も、再建時に中門堂から移されて安置されたものと考えられています。
(原文のまま)

その辺りから見た大仏殿

仕方ないから駐車場へ戻りますショボーン
この日のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ