前回からの続き(5月17日のこと)で、奈良の続きです
この時はせっかく奈良へ来て泊まるので、いろいろ見て回っているのですが、どうせだからまずは世界遺産を少しでも見てみようというのがありました
そんな世界遺産に指定されてる1つに来ました
元興寺(がんごうじ)

住所・奈良県奈良市中院町11
御本尊・智光曼荼羅
HP・元興寺
参拝時間・9:00〜17:00
札所・西国薬師霊場(第5番)
大和地蔵十福
駐車場・数台のがあり
歴史など
御朱印の挟み紙を貼っておきます

―佛法元興―
元興寺は、養老2年(718)に法興寺(飛鳥寺)を平城京に新築移建された官大寺です(南都七大寺のひとつ)。旧境内地は広大で、現在の「ならまち」 として残っています。世界文化遺産「元興寺」は旧伽藍の史跡のうち、奈良時代僧坊遺構を伝える貴重な文化財です。
国宝極楽堂・禅室の二棟は僧坊(僧侶の住居であり教室)の変遷と仏教(戒律・ 禅定・智慧の三学)の基本形を伝えるものです。
極楽堂の本尊は、三論学僧の智光法師が夢に観た阿弥陀仏の極楽浄土を描いた「智光曼荼羅」です。
仏や仏国土は、本来表わすことが出来ないものです。そこで、現実的な人間や世界から理想的な姿として表現されました。また、持物や梵字種子で象徴され、印相で示されます。
参拝や納経の証として、種字、印からなるご朱印を授ける風習があります。 発菩提心(さとりを求めて発心した)の証ともいえるでしょう。
オンボウジシッダボダハダヤミ
世界文化遺産 元興寺
(原文のまま)拝観券(拝観料700円)
この東門(重文)から入って行きます

くぐり抜けて振り返る

駒札

国指定重要文化財
東門 鎌倉時代
応永18年(1411)移築
四脚門の格式をとる東大寺西南院の旧門であり、元興寺極楽坊の正門として室町時代に移築されたものである。
元興寺旧伽藍の東築地塀に開くこの門の設置は、近世に南都の極楽院として独立したことの証しでもある。
(以下、原文のまま)
極楽堂(曼荼羅堂・国宝)

駒札

国宝 極楽坊本堂
鎌倉時代
奈良時代の元興寺三論学僧であり、浄土教学研鑽を創始した智光法師の住房と伝える東室南階大坊の一部を中心として、鎌倉時代の寛元2年(1244)に奈良時代の僧坊から切り離されて、単独の寄棟造の堂に改築されたものである。内陣には、当初の構造材を遺し用いている。また、屋根の西流れ部には、当寺の前身である飛鳥寺所用の日本最古の瓦が一部、現役で葺かれている。
本尊は智光法師が感得したという阿弥陀極楽浄土の変相図であり、智光曼荼羅といわれる。往生極楽院として機能していたことから、極楽堂とも、曼荼羅堂とも呼ばれる。
左寄りから

禅室(後方)と

極楽堂には上がってお参りすることも出来ます
堂内は撮影は禁止🈲
近くのベンチに屋根の解説が貼ってありました

世界遺産元興寺の屋根を観る
切妻造り屋根
国宝 元興寺極楽坊禅室(僧房)
総合収蔵庫(法輪館)
七堂伽藍の内では一番単純な建物。東屋ともよばれ、一般的に住居に使用される。
禅室はもと東室南階大坊(僧坊)の4房分を遺す。
寺院の特徴である瓦葺きである。神社等掘立柱建物は瓦葺きではない。仏教伝来と瓦の関係は重要な視点だ。
屋根瓦は本瓦葺き(鎌倉時代の古瓦)に復元されている。
平瓦の重なりに対して、丸瓦(瓦造りの革新により)が段差なく、接続されて、すっきりと見える。
寄棟造り屋根
国宝 元興寺極楽坊本堂(極楽堂)
伽藍の内では金堂に次ぐ特別な建物。講堂や食堂などに使用され、道場や聖堂を示すようになる。
禅室と同じ僧坊(3房分)を改築して聖堂化した道場とされた。
屋根瓦に飛輪寺伝来の行基葺きに復元されている。
北面(昭和瓦の復元)と西妻(飛鳥瓦・奈良瓦が集められ) モザイク風に見える。
行都葺き屋根は、丸瓦(瓦造りが単純なため)の重なりが目立つ。百済の博上が斎したと伝わる。
法隆寺玉虫厨子の屋根瓦(木造) 表現に見られる。
入母屋造り屋根
県文 極楽院旧庫裏(小子房)
七堂伽藍と呼ばれる寺院建築の中で、塔婆に次いで複雜で高度な技術が必要な建物。金堂や南大門など寺院を象徴する建物に使用。いわゆる宮大工の仕事、後の寺院建築の典型とされる。
屋根は本瓦葺きが本義だが、江戸時代に桟瓦(平瓦と丸瓦を合体した技術革新)が出来ると、殆どの建物は桟瓦葺きに変わった。
周辺の町屋の屋根は概ね桟瓦葺きである。
しかし、なんでこんな所に解説が🤣
収蔵庫側を見る

駒札

元興寺講堂跡出土礎石
奈良時代
平成10年(1998)、境内西側の中新屋町の家屋地下から北上したもので、元興寺講堂の北西庇の二間に当たる三基の礎石とみられる。礎石上面には柱座の造出がみられ、直径三尺を計る大きな柱であったことを推測させる。講堂の規模は桁行十一間、当時最大のもので、本尊は一丈六尺の薬師如来坐像であったという。現状は、柱間二間分の寸法に復元して配置している。
石材は、硬質の三笠安山岩、通称カナンボイシである。
確かにデカい礎石です

入り口左前にも駒札

法輪館
第1展示室
国宝 五重小塔 奈良時代
重文 阿弥陀如来坐像 平安時代
重文 板絵 智光曼荼羅 平安時代
重文 聖徳太子孝養像 鎌倉時代
重文 弘法大師空海坐像 鎌倉時代
県指定文 南無仏太子像 鎌倉時代
市指定文 地蔵菩薩立像 室町時代
第2・3展示室
重要有形民俗文化財
元興寺庶民信仰資料 鎌倉~室町時代
千体仏 印仏 曆 仏板絵
こけら経 夫婦和合・離別祭文
闘茶表 物忌み札 蔵骨器
納骨塔婆 等
宝物館では上記のものも見れます
見所は国宝に指定されている11の五重塔の1つのうち2番目に小さな五重塔が見れることです
他にもけっこういろんなものが展示されていました
右側にも駒札があります

駒札

浮図田
昭和63年(1988)修景造園
「浮図」とは「仏=ぶつ」の音写であり、ゆえに「浮図田」とは、墓地を意味する。 境内と周辺から集積された石造塔・石造仏類は、二五〇〇余店を数える。五輪塔・阿弥陀石仏・地蔵石仏などは、鎌倉時代から江戸時代に造立されたもので、当時の人々が滅罪積徳・後生安穏や浄土往生を祈願して納置したものである。
室町時代の当寺境内は、興福寺筆頭院家である大乗院門跡の墓所として信仰されていた。
浮図田



なんだか京都のあだし野念仏寺を思い出されました
元興寺のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ


