前回からの続き(4月12日のこと)です
油掛通りを東へ進んでいると、その通りの由来になったであろう油掛地蔵尊がある西岸寺の前へやって来ました
西岸寺
こちらは以前訪れています

入り口にある石碑
芭蕉翁来訪の折に詠じし句碑と書いてあります

駒札
西岸寺(油懸地蔵)

  油懸山地蔵院西岸寺と号する浄土宗の寺で、天正18年(1590)雲海上人によって創建された。地蔵堂には、俗に油懸地蔵と呼ばれる石仏の地蔵尊が安置されている。寺伝によれば、昔、山崎(乙訓郡)の油商人が門前で転び、この地蔵尊にこぼした油の残りを灌いで供養し行商に出たところ、商売が大いに栄えたといわれ、以後、この地蔵尊に油をかけて祈願すれば願いがかなうとして、人々の信仰を集めている。

  境内には、「我衣(わがきぬ)にふしみの桃のしづくせよ 芭蕉」と自然石に刻まれた旬碑がある。これは、貞享2年(1685)、当寺の第三世住職任口(にんこう・宝誉)上人を訪ねた芭蕉が、上人の高徳を当時の伏見の名物であった桃に事寄せて、その徳に浴したいと願って詠じたもので、碑は文化2年(1805)に建設された。なお、地蔵堂は、明治維新の鳥羽伏見の戦いで類焼したため、明治27年(1894)に一度再建された。現在の地蔵堂は、その後、昭和53年(1978)に再び建立されたものである。
京都市
(原文のまま)

境内にある桜はこれだけでした😄

その桜の袂にあった駒札や句碑

駒札アップで
芭蕉翁塚・任口上人
我衣にふしみの桃の雫せよ
貞享2年(1685)任口(宝誉)上人の高徳を慕ってたずねた芭蕉が出会の喜びを当時伏見の名物であった桃によせて「我衣にふしみの桃の雫せよ」と詠じたもので「野ざらし紀行」には「伏見西岸寺任口上人にあふて」と前書がある。碑は文化2年(1805)の建立である。
  任口上人は当山の三世住職(ここから読めず)法名は如羊と称して、(以下も読めず😅)
(一部抜粋・原文のまま)

句碑

その左側にあるのが地蔵堂

駒札
油掛地蔵尊
  地蔵尊は、伏見天皇・正親天皇の御信仰篤く、正應3年(1290)不思議の霊験ありしにより、文保元年(1317)伏見院別御殿(当山の現在地)を下賜せられ、地蔵院の称号
賜った。
  油掛地蔵尊の起こりは往昔山崎(乙訓郡)の油商人が、この地蔵尊の門前で転び油桶を落とし油を流してしまった。たいせつな油を失って落胆したが、残った油を地蔵尊にかけて行商に出たところ大いに栄え店は繁昌した。
以来、油をかけて祈願すれば願望成就すると信仰され、油掛地蔵尊と称するようになった。
  地蔵尊は石仏で高さ1.7m、幅80cmの花崗岩の表面に、像高1.27m(立像)を厚肉彫りにしたもので、右手に錫杖、左手には宝珠を捧げている。地蔵尊の造立は鎌倉時代といわれている。
西岸寺
(原文のまま)

桜記事というより、普通の記事に近くなってしまいました😅
この日のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ