前回からの続き(1月11日のこと)です

(今回の展示は既に終了しています🙇)


この日の目的の1つに文博でやってた展覧会を観ることでした

いつもなら会期中にアップしてる所ですが、終盤だったので時系列でアップしました🙇

なので覚え書きってことで😅


メインの企画展示はシルクロードとかのことだったと思いますが、そちらは僕的に興味無かったので総合展示のみこの日は観ました😁
「うつす美」(右)というのと、「鶴澤派探求」(左)というのをやってましたが、その気になったというのは左側の「鶴澤派探求-朝廷御用絵師の要-」でした
(これだけだとJAFの割引も効いて400円で観ることが出来ました😄)

へ行ったとき、そこの襖絵などを描いた絵師の絵が見れるということで確認に来たわけですニヤリ
初代の探山は狩野探幽の門下で四天王にも挙げられた人物だったそうです
その探山が息子と京都へ移住して、宮中の絵を描くことになったということです
ただ多くの作品は大火により焼失してしまいました
その系譜は、子・探鯨、孫・探索へと引き継がれ、近代まで続いたそうです
門人には、応挙の師とされる石田幽汀、大岡春卜、佐々木泉景(加賀藩お抱え絵師)、真砂幽泉(紀伊田辺藩お抱え絵師)などがいるということです
(鶴澤派探求、図録ごあいさつ参照)
で、図録(1800円)も買いました



追記(令和7年6月)
チラシ

展示作品リスト

うつす美のリーフレット
文博は、このようなリーフレットが総合展示でもしっかり作られてるのがありがたいところです😌


出口で見かける紫式部像

解説

紫式部(乾漆像)

  紫式部は、平安時代の女流作家また、歌人として、 つとに著名であるが、紫式部がユネスコにおいて「世界の偉人」として、日本では最初にリストアップされていることはあまり知られていない。

  生没年は不詳であるが、天延元年(973)ごろ京都に誕生、長元4年(1031)ごろの没と伝えられている。
  父は藤原為時(ふじわらためとき)、母は中納言藤原文範の子である為信の娘である。
  長保元年(999)藤原宣孝(のぶたか)と結婚、翌年長女賢子(けんし)誕生、長保3年(1001) 宣孝と死別、寛弘3年(1006)ごろ一条天皇の中宮彰子(しょうし)のもとに出仕、その間、名作「源氏物語」五十四帖、「紫式部日記」「紫式部集」等を著わし、和歌は「後拾遺集」などの勅撰集にも入集され、内省的な傾向がその特色とされている。
  墓は「河海抄(かかいしょう)」に「式部の墓所、(紫野)雲林院にあり、 白毫院の南、小野篁の墓の西なり・・・・・・」とあり、現在、 京都市北区紫野西御所田町二に、篁の墓と並んで供養されている。
  この像は、社団法人現代教育研究協会(会長森藤吉)が創立二十周年の記念事業として京都府に寄贈され、当館において公開している。 作者は、京都教育大学名誉教授日展評議員杉村尚氏である。
(原文のまま)
名前を読んでいると、去年まで放送されていた「光る君へ」が思い出されてしまいます😌


この日のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ