今回から3月24日のことになります
季節ハズレとなりますが、今回から桜多めの記事が増えます😅
この日は嫁さんは仕事だったかで、1人で出掛けてきました
この時期はまだ桜を見るには早い時期だったので、去年も出掛けた淀水路へ行ってみることにしました
で、この頃はまだ梅を神戸でしか見てなかったので、途中の長岡天満宮の梅園はどうなのだろう?と寄ってみることにしました
目的地まですんなり行けないのはレレレらしいです🤣
長岡天満宮

こちらは過去に伺っています
駒札

長岡天満宮
御鎮座地長岡は、菅原道真公が御生前に在原業平らとともに、しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれたゆかり深いところである。公が太宰府へ左遷された時、この地にお立寄りになり「わが魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によって、公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立である。
爾来(じらい)皇室の崇敬篤く度々の御寄進御造営をうけ、寛永15年(1638)には八条宮智仁親王によって八条が池が築造された。中堤両側には樹齢百数十年のきりしまつつじが多数植えられており、その見事さはわが国随一と言われ、花の季節には観光客で賑わう。現在の本殿は、昭和16年に京都の平安神宮の本殿を移築したものである。
長岡京市観光協会
(社)京都府観光連盟
(原文のまま)
長岡天満宮の建造物

長岡天満宮の建造物
地元開田村の氏神である長岡天満宮の境内は、江戸時代に八条宮(のちの桂宮)家のまつる神社として社観の整備が重ねられてきました。近代になると、明治35年(1902)の菅原道真公千年忌を契機に組織された長岡保勝会によって、 活発な社殿の建築が進められます。さらに昭和16年(1941)には、平安神宮から本殿・祝詞舎・透塀が移築されました。
江戸時代に形づくられた境内のなかに、近代の優れた建造物が建ち並ぶ特徵的な社観は、歴史的な価値や造形上の質において高く評価されています。
本殿一棟 明治28年建築 昭和16年に平安神宮から移築
祝詞舍一棟 明治28年建築 昭和16年に平安神宮から移築
透塀三棟 昭和16年建築 正面は平安神宮から移築
神饌所一棟 昭和5年建築 昭和16年に移築
築地塀一棟 昭和16年建築
八幡宮神社本殿・春日大明神本殿二棟 江戸時代建築
社務所(連歌所)一棟 大正3年建築
手水舎(旧祝詞舎)一棟 大正2年建築 昭和16年に移築
本殿 一棟 京都府指定有形文化財に指定(平成23年3月25日)
祝詞舍等 一〇棟 長岡京市指定有形文化財に指定(平成24年11月3日)
(原文のまま)
図をアップで

神使の牛

駒札

菅原道真公と牛について
菅公は承和12年(845) 丑年のご生誕であります。
公は茸狩りの宴の際、いずこからともなく子牛が宴席近く来たり、 頭を垂れていかにも公を敬うがごとくでありましたので、大層お喜びになり御館に連れて帰り、お可愛がりになりました。
大宰府にご左遷の御時、刺客に襲われ御命も危うくみえたとき、 荒れ狂った白牛が駆けいで、刺客から公の御命をお守りいたしました。 よくご覧になると公が都でご愛育になっていた牛でありました。
大宰府でお亡くなりになった時、遺骸をお乗せした車を曳いていた牛が、途中で突然ひれ伏して動かなくなり、そこを墓所とし、現在の太宰府天満宮はその地に建てられたものであります。
牛が菅公の御神使となったのはこれらの事跡によります。
(原文のまま)
今回は梅園がメインなので、参拝済ませて、奥まで歩いていきました

咲き方がチラホラ😅



種類は割りとある感じでした😄





動画も撮ってみました
なんだかあまり咲いてる感じじゃなかったので、帰りに宮司さんおられたので伺ってみたら
というようなことを言われてたと思います
なので、満開は見れずでした💦
残念な出だしでしたが、目的地へ向かいます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ

