前回からの続き(1月11日のこと)です
押小路通りを更に西へ進み、油小路通りで下り(南下し)ます
やはり石碑を見るために行ったのですが、こちらは建物の敷地内にあるため、こちらの門外からの撮影となりました😅
中にあるのはこちら
大老土井利勝屋敷跡

住所・京都市中京区油小路通押小路下る西側
駒札アップで

大老土井利勝屋敷跡
当致地は、江戸時代のはじめ、 幕府の老中、大老土井大炊頭利勝の屋敗があったところである。
利勝は天正元(1573)年の生まれ。幼時より徳川家康の信任あつく、二代将軍秀忠の誕生の時から秀忠に仕え、慶長15(1610)年老中となり、三代将軍家光にも重く用いられて寛永15(1638)年大老となった。
領地は、度々移動したが、最後は下総国 (茨城県)古河藩一八万石。
利勝は天正元(1573)年の生まれ。幼時より徳川家康の信任あつく、二代将軍秀忠の誕生の時から秀忠に仕え、慶長15(1610)年老中となり、三代将軍家光にも重く用いられて寛永15(1638)年大老となった。
領地は、度々移動したが、最後は下総国 (茨城県)古河藩一八万石。
老中としてたびたび上洛して、朝廷との交渉にあたり、二条城にあって万事を差配した。
この屋跡はいつ設けられたかは明らかでないが、寛永15年の地図に見える。
上洛の時は、ここを宿所にした訳である。
利勝は正保元(1644)年に没したが、子孫も老中や京都所司代となり、幕末までこの屋敷を維持した。
上洛の時は、ここを宿所にした訳である。
利勝は正保元(1644)年に没したが、子孫も老中や京都所司代となり、幕末までこの屋敷を維持した。
京都市
(原文のまま)
この様に、市内にはいろんな時代の石碑が混在して建っています
この日のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ