前回からの続き(5月3日のこと)です

前回の長屋門から府道25号線(亀岡園部線)へ出ます

そこから更に一筋隣の府道405号線(郷ノ口余部線)へ移動

右手に丹波国分寺跡(肉眼では見えません😅)がある手前を左へ村の中へ入って行った所にそれはありました

丹波国分尼寺跡(御上人林廃寺)
住所・京都府亀岡市河原林町川原尻
駐車場・なし
近くにある丹波国分寺は訪れたことはあったのですが、それと対?になる丹波国分尼寺の場所が分からなかったんです😅
おそらく前探していた以降にGoogleマップに投稿してくれた方があったんだと思います
お蔭でやっと行くことが出来ました照れアリガタイ

そこにあるのは上にあるように、石碑と解説板のみです


解説部分アップ

丹波国分尼寺跡(御上人林廃寺)
  御上人林廃寺(おしょうにんばやしはいじ)の発掘調査は、昭和47年 (1972) に金堂跡基壇が発見されたのに端を発し、以後6次にわたって行われ、当廃寺が丹波国分尼寺跡であると推定できるようになりました。
  丹波国分尼寺は、南大門跡・金堂跡・講堂跡が南北一直線上にあって、国分尼寺として通有の(塔のない) 伽藍配置です。寺域は東西約150m、南北約170mで、周囲に築地塀をめぐらし、丹波国分寺 (僧寺)とほぼ東西に並んでいます。建物の規模は、南大門跡が東西約15m、南北約10m、金堂跡が東西約27m、南北18m、五間四面 (柱マス7間×5間)の建物が想定されます。また、講堂跡は東西25.8m、南北16.8mでやはり五間四面の建物跡が確認されました。 
  出土遺物は、丹波国分寺(僧寺) 跡で出土したものと同じ文様の軒瓦が出土しており、そのほか奈良時代から平安時代にわたる須恵器や土師器・緑釉陶器・青白磁器等が出土しています。
  国分寺とは、天平13年(741)2月、聖武天皇の発願により国ごとに建立された寺を言い、金光明四天王護国之等(僧寺)・法華滅罪之等(尼寺)の二箇寺で構成されます。丹波国分寺(僧寺・尼寺)跡は、古代丹波の国の中心であった亀岡市域の政治的・文化的様相を知る重要な手掛りとなるものです。
  なお、丹波国分寺 (僧寺) 跡は丹波国分尼寺跡から東へ約400mのところにあり、現在塔跡等の礎石が残り、 国の史跡に指定されています。 
  令和4年  亀岡市教育委員会
(原文のまま)
国分尼寺と国分寺の位置と伽藍配置

画像部分アップ

以前、近くにある丹波国分寺は訪れています

丹波国分寺


この日のことはこれでお仕舞いです😌

次回は一旦北部のことを挟みます

では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ