前回からの続き(2月3日のこと)です
京都万華鏡ミュージアムを後にして、次の目的地へ姉小路通りを西へ歩いて行きます
すると、烏丸通りに当たる手前左側に以前行ったことがある建物の前に来ました
新風館
住所・京都市中京区烏丸通姉小路下ル場之町586-2気になって、記事にしたのはこのため

建物の前に駒札と石碑があります
駒札

三條東殿遺址
現在な三條烏丸交差点の東北に位置する方四十丈(約120メートル)の地は、古の三條東殿の遺址にあたっている。
十一世紀の初め、ここには、伊豫守藤原濟家 の邸宅があり、それは子孫の宮内卿藤原家通に傳えられた。崇徳天皇の天治2年(1125) 白河法皇はこの地を得られ、ここに見事な殿舎を造営し、院の御所とされた。法皇の崩後 鳥羽上皇は、三條東殿をやはり院の御所とされ、后の待賢門院と共に住まれ、それは長承元年(1132)7月の焼亡時まで続いた。
その後この地は皇子・後白河法皇の院の御所となった。
平治元年(1159)12月9日の夜、源義朝は軍勢五百余をもって三條東殿を襲撃、 法皇をここから連れさって幽閉し、かくして平治の乱が勃発した。
その時、武士と火焔にせめたてられた多数の官女が三條東殿の井戸に入って非業の死を とげたという。
このように三條東殿址は、院政時代における政治的文化的中心地のひとつであり、その点でかく記念されるべき遺跡である。
昭和41年2月
昭和41年2月
財団法人 古代学協会
(原文のまま)
その横に三條東殿遺址の石碑

烏丸通りの歩道にはこんなプレートもあります





