前回からの続き(8月18日のこと)です
台所を後にして、一番奥にある松の間へ向かいます
ここは1階では一番広い広間です
松の間
 松の間は広さ四十三畳。角家一の大座敷であるが、残念なことに大正14年(1925)、一部を焼失した。翌年すぐ再建し、旧態に戻ったが、重文指定にはなっていない。幸い歩障の岸良筆「布袋図」と額の薩摩剛毅書の「蓬壺生春酒」や縁側の欅の一枚板は、難を逃れ現存する。
(解説原文のまま)
上にもあるように、火災によりここだけ重文指定から外れてしまったそうです
そのため、クーラーが設置してあり、ここだけメチャクチャ涼しかったです♪
( *´艸`)

案内の方によると、この解説がある前の位置が、新選組初代組長・芹沢鴨が最後の宴会で座った場所になるということでしたびっくり

そこからキョロキョロ爆笑


こんな立派な襖絵もあります

襖絵
襖絵の「金地桐に鳳凰図」は幕末頃の絵師岸連山筆 (1804~1871)になるが戦後この座敷に用いた。
(原文のまま)

天井周辺もこんな感じ指差し


釘隠し

襖の取っ手

庭園も見事なものでした

解説
 主庭と臥龍松(がりょうのまつ)
 大座敷「松の間」から眺める主庭と臥龍松は、 角屋を訪れる文人、墨客、画人らの詩歌、俳諧、 絵の良い題材となった。近世後期に出版された 『都林泉名勝図会』に紹介され、また、国貞や広重等の浮世絵にも描かれたので、京名所として江戸でも知られた。 臥龍松は一木で臥龍を形づくっており、天明年間には角屋の庭園七景の一つに選ばれていた。しかし、大正末に枯れてしまい、幹のみを残すところである。現在は二世の木々を以て当時の枝ぶりを復元している。
 主庭には右手前に「曲木亭(きょくぼくてい)」(元禄頃・1688 ~1704 表千家宗匠覚々斎好)、その後ろに萱葺きの「清隠斎茶席」(藪内竹心門の安富常通清隠斎が建てたものを天保9年・1838移築)、 左側に見える青貝の間一階部分に「囲の間」(1781~89 表千家宗匠了々斎好)の三つの茶室 を備えている。
(原文のまま)



その奥には茶室が2つ



松の間、西側の庭

次の間へ移動します

角家続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ