前回からの続き(2月4日のこと)です
次へ向かう階段の途中に

左手に祠がありました
横尾大明神

そこの狛犬の髪型がバッハかベートーベン🤣


横尾明神は醍醐山の地主神
聖宝が開山するにあたり、影現してこの山を聖宝に献じ、密教の弘道を護ることを約束したとされる
聖宝の前に白髪老翁の姿で現れ、目前の落ち葉をかき分けて湧き出た泉をすくい、飲み干して「嗚呼醍醐味なるかな」と讃えたと言い、これが醍醐山の由来で、醍醐水の発祥ということです
(以降、京都・世界遺産手帳参照)
その祠の横を抜けていくと、清龍宮本殿がありました

正面

こちらが下醍醐にあった清瀧宮の元々のものということです
寛治3(1089)年、託宣を受け三宝院の勝覚(しょうかく)が社殿2宇を建立したと伝わる
准てい、如意輪の本地仏が安置されたという
この清瀧宮の本尊が如意輪観音像で、聖宝が醍醐寺を創立したときの准てい観音と並ぶ2大本尊だったが、火災に際して下醍醐に移される
勝覚が建立した建物は、応永17(1410)年の火災で焼失
永享11(1439)年、再建
昭和14(1939)年、火災で焼失、その後再建される
階段を上がったところは更地になってます

上がったところ左手には子育地蔵尊


その更地は元々准胝観音堂があったところです

再建予定地の看板が立っています
聖宝が醍醐寺の開創にあたり、自ら刻んだ准てい観音を祀った草堂を最初した場所
昭和14(1939)年の火災で焼失
昭和43(1968)年、再建
平成20(2008)年、落雷のため全焼
ということは、それからこの状態のようです💦
こちらが西国三十三所観音霊場の場所だったそうです
それまではこちらまで西国霊場の参拝はせんなんかったため難所の1つだったと聞きますが、今では下醍醐で済ませれるのでずいぶんと楽になったそうです
上がってきて納得です
ちなみに、准胝観音を本尊としてるのは、西国ではこちらのみということです
こちらの本尊の准てい観音は、准てい仏母(じゅんていぶつも)と言われ、求児安産の効験ありとされるそうです
この先にはまだこちらの建物があります

先へ進みます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ