前回からの続き(10月23日のこと)になります
佐藤兄弟のお墓の反対側にも石碑がありました
確かに道沿いの石碑の下にも何か書いてありましたが、読んで無かったのでビックリ😅

住所・京都市東山区渋谷通東大路通東入ル北側
駐車場なし
通路側に解説あり

解説板

アップ

佐藤政養招魂之碑
佐藤政養(1821〜1877)は、勝海舟門下の逸材として、卓抜した土木、測量の技術をもって、近代日本の建設に大きく貢献した人物です。
文政4(1821)年出羽国(現在の山形県飽海郡遊佐町)に生まれ、通称を与之助といい、安政元(1854)年勝海舟に入門、翌年には海舟に従い長崎海軍伝習所で操船、測量、砲術などを学びました。この間、江戸湾内の測量や開港地としての横浜の発展性を予見、神奈川台場の築造などとともに文久元(1861)年には、地図の模範といわれる「新刊與地全国」を公刊し、その名を高めました。
その後、政養は海舟とともに神戸海軍操練所の創設や西宮、和田岬など摂津、兵庫の台場築造に関わります。神戸海軍操練所では教授方を、勝海軍塾では塾頭を務め、海舟門下の坂本龍馬、近藤昶次郎など土佐浪士たちにとっては良き兄弟子でした。
維新後、政養は新政府に出仕、明治2(1869)年から東海道線敷設のため地理検分を命ぜられ、新橋・横浜間の鉄道敷設に尽力しました。その後、鉄道掛京都出張所事務管理者となり、初代鉄道助として日本の鉄道の基礎を築きました。同時期に、測量学や土木学を教授する私塾を開き、鉄道技術者の育成に務めました。こうした功績から政養は、「日本鉄道の父」と言われるようになりました。
明治9(1876)年、病により職を辞する直前、自らの先祖と伝承されていた佐藤嗣信(継信)・忠信兄弟の墓と伝わる二基の十三重石塔があったこの土地を購入し、佐藤嗣信・忠信の墓碑と父文褒(与兵衛)の顕彰碑を建立しています。
その後、東京に戻った政養は、明治10(1877)年に没し、東京青山墓地に葬られますが、妻岸子の願いにより、所縁のあるこの地に佐藤政養招魂之碑が建立されました。篆学(てんがく)は勝海舟によるもので、招魂之碑の周囲にある玉垣は、政養の塾で学んだ門弟たちから寄進されたものです。ここにあった十三重石塔は、現在京都国立博物館の前庭に移設・保存されています。
平成25年7月
佐藤政養先生顕彰会
山形県飽海郡遊佐町遊佐字舞鶴211番地(遊佐町役場内)
(原文のまま)

読んで更にビックリでした!
まさかこんなところに日本鉄道の父と言われる人の石碑に出逢うなんて!
解説を読んで、この辺りが整備された訳が納得出来ました
過去に神戸海軍操練所があったところを訪ねています→神戸海軍操練所の碑
次回は再び京都浄土宗寺院特別大公開のことになります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ





