前回からの続き(8月9日のこと)になります
昼ごはんを食べてから、行き忘れてたとこがあったので、そちらへ向かいます
メリケン波止場に戻り、北上します
阪神高速の高架を過ぎたとこに公園があります
みなと公園
住所・兵庫県神戸市中央区波止場町1
駐車場なし


その公園のメリケンパーク寄りにお地蔵さまが祀られていました
メリケン地蔵尊

こちらのお地蔵さまは2躯が背中合わせにいるという珍しいものでした😲
ブロ友さんが少し前にアップされていて、たまたまタイミングよく直後に見れました😄

その歩道を少し行ったところから、公園内に石碑が確認出来ます
車止め?も錨型とかでオシャレです😁👍

陸奥宗光顕彰碑(右)と神戸海軍操練所の碑

右側の石碑
 第四代兵庫県知事陸奥宗光公を讃える
 この地 海軍操練所に学び のち 第四代本県知事となって 県政の礎を築き 後年伊藤内閣の外務大臣として難局に処した公を偲んで ここに顕彰する
昭和48年5月吉日
  第40代兵庫県知事 坂井時忠
(原文のまま・右上)
陸奥宗光は日露戦争時の外相で、日露戦争を日本の勝利へと導いた立役者の一人と言えると思います
その陸奥が兵庫県知事もされていたとは驚きでした!びっくり
 国史を愛し郷土史を偲ぶ人びとに捧ぐ
 昔 この周辺を摂津の国 神戸村(かんべ)小野浜と呼んだ 東は脇浜 西は弁天浜で 現在の神戸港の玄関口である
海の先覚者たちは この浜が今に世界的な要港となるのを見とおして 神戸海軍操練所を開設した 造船所 機関学校 兵学校もある広大なもので その生徒も二百名以上を数えた ここから明治維新に活躍した大人物が多数輩出している
この浜は新しい日本の発祥の地である
 昭和48年5月吉日
   洲崎喜夫
   小野米吉 建之
(原文のまま)

書き出しは漢字ばかりなので割愛します笑い泣き

石碑の後ろ面

右側(最初の画像から言うと左側)

右上のアップ
陸奥宗光(1844〜1897)は、伊藤博文 坂本龍馬らとともに 明治維新の原動力となり 第二次伊藤内閣に外務大臣として入閣 かつて江戸幕府が諸外国と結んだ不利な条約改正につとめ 関税自主権の確立 日清戦争後の下関条約締結など 近代日本の揺籃期に内政外交に尽した功績は不滅である
 日中友好成り 広く世界にひらける国際港都市神戸の このゆかりの地に顕彰碑が建立されたことはまことに慶賀に堪えない
 昭和48年5月吉日
   外務大臣 大平正芳
(原文のまま)

左下のアップ
勝海舟は軍艦奉行並として海軍操練所長と兼ねていた元治元年 操練所構内に「海軍営之碑」を建立せんとしたが 碑の出来上がった直後 江戸に召還されたため 建碑を中止し 神戸村庄屋生嶋四郎太夫に どこかに埋めるように命じた それを生嶋はひそかに奥平野の己が別邸ち運び そこに建てていたが 大正4年11月有志によって 諏訪山の金星台へ移されたのである 
 このたび 金星台に現存の碑を模して 海軍操練所ゆかりのこの場所に建立したのである
 昭和48年5月吉日
  及川英雄

左側(最初の画像から言うと右側)

右上のアップ
人間環境都市  こうべ  の玄関に こよ「みなと公園」が完成しました
神戸市は 港と ともに発展してまいりましたが 約百年前の 神戸港の開港当時を しのび 海軍操練所の記念碑を 京橋橋詰に在る大錨の いわれ碑文と ともに 建設 寄贈されました 
この史跡を 神戸港の誇りと いたします
昭和48年5月吉日
 神戸市長 宮崎辰雄
   寄贈者 洲崎喜夫
   世話人 小野米吉

左下のアップ
 海軍操練所の生徒で神戸に忘れられない人
所長 海軍奉行 勝海舟
 米軍と初貿易に成功 に成功 陸の西郷隆盛と計って江戸城無血開渡しにも有名である
塾頭 坂本竜馬 海援隊長
         伊藤俊助 後博文
           兵庫県初代知事 初代内閣総理大臣となる
          陸奥湯之助 後宗光
           兵庫県四代知事 第二次 伊藤内閣の外務大臣となる
(原文のまま)
こうして見ると、神戸操練所に関連した人物はそうそうたる顔ぶれなんだと思いました

次回から周辺の建築物のことになります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ