前回からの続き(8月9日のこと)になります
メリケン波止場を歩いて行くと、京丹後市の散策でも震災跡(郷村断層 )を訪れましたが、こちらでも震災の跡が残されていたので訪れてみました
神戸港震災メモリアルパーク

住所・兵庫県神戸市中央区波止場町2
建物までもはいかない施設
入ったとこにプレート

アップ

神戸港震災メモリアルパーク
平成7(1995)年1月17日午前5時46分、明石海峡付近を震源地とする兵庫県南部地震が発生し、死傷者40,071人、被害棟数247,486棟、被災世帯数444,900という未曾有の被害を受けました(平成8年12月現在)。この神戸港震災メモリアルパークは、メリケン波止場の一部を被災したままの状態で保存するとともに、神戸港の被災状況やその復興の過程を中心に大震災の教訓と港の重要性、さらに国内外の多くの人が一体となって港の復旧、復興に努めた様子を後世に伝えることを目的としてつくられました。
平成9年7月竣工
(原文のまま)
こんな説明ありました

阪神・淡路大震災復興の一助として、モーターボート競走関係者の協力により、平成7・8年度に特別競走が実施され、総額71億円の支援資金が拠出されました。この資金を効果的に活用し、復興を推進していくため設立された「阪神・淡路大震災復興支援運輸連絡協議会」により、50余件の震災復興事業への支援が行われました。これらの支援は、また多くの被災者を励まして、復興への勇気と希望を与え、物心両面で大震災からの復興に大きな役割を果たすことになりました。「神戸港震災メモリアルパーク」は、この震災復興支援事業のひとつとしてつくられました。
(原文のまま)
そこには震災前の様子や

復興の様子が多くのパネルなどで紹介されています

こちらは震災の発生から復興宣言までのことが時系列で書かれています

天皇御歌

港まつり 光りかがやく 夜の舟に こたへてわれも ともしびをふる
歌碑の裏には解説があります

この天皇御歌は昭和32年宮中歌会始の儀に「灯」の御題のもとにおよみになられたもので31年10月御来神のとき御宿舎オリエンタルホテル屋上から神戸みなとの祭海上提灯行列の美しい夜景を御覧になった印象と承わる下名ら相図りゆかりの港頭にその御歌碑を建て市民の光栄と感激を永遠に伝えんとするものである。
昭和32年10月
(原文のまま)
メリケン波止場からだと、歌碑の後ろが最初に目に入ります

歌碑の横に通路あり

施設からももちろん行けますが、メリケン波止場からだと上のとこから震災跡の様子が残ってるとこへ行けます

当時こんなになっていたのかと、非常に分かりやすいです

海側に桟橋が架けられ、そこから見ることが出来ます

その当時、テレビで見たり聞いたりはしてましたが、港で液状化現象が起きるとこうなるのかな?とか今さらながら知ることになりました

阪神・淡路大震災では液状化が取り沙汰されましたが、東日本大震災では津波の驚異を目撃しただけに海沿いでも被害の出方が違うことを知ることになります

桟橋にも解説板

メリケン波止場の変遷
慶応3年12月7日(1868年1月1日)、神戸港は世界に門戸を開きました。慶応4年閏4月2日(1868年5月23日)鯉川尻に造られた長さ18.2m、幅10.9mの小さな波止場は、第三波止場と名づけられました。近くにアメリカ領事館があり、通称「アメリカ領事館前波止場」と呼ばれ、それがなまって「メリケン波止場」になりました。また、「萬國波止場」と呼ばれた時期もあり
波止場の基部の碑には「萬國波止場」と刻まれています。この波止場と中突堤間の約16haを埋立て、昭和62(1987)年4月29日に「メリケンパーク」がオープンしました。
(原文のまま)
メリケンパークのメリケンって、どこからついたのかと思ったら、アメリカ領事館前波止場から来てるとは!
なるほど納得しました😄
写真のアップ

その横にも解説があります

メリケン波止場の保存方法
阪神・淡路大震災で、メリケン波止場の岸壁は海側に大きく傾き、陸地のコンクリート舗装が陥没するなど、甚大な被害を受けました。その被災した岸壁の前面に鋼管を帯状に打ち込み、石材で間詰めして岸壁の倒壊を防ぎ、崩壊部分や傾いた照明灯をできる限りそのままの状態で固定して、被害状況を目に見える形で残しました。
(原文のまま)
メリケン波止場護岸図



阪神・淡路大震災の体験
僕は京都でも北部にいたので、直接の被害は受けませんでした
地震のあった日、なぜか地震が起こる直前に目が覚め、そんな大きくない揺れ(震度4くらい)を感じました
震度4くらいでしたが、それでも初めて感じる大きな揺れでした
これは!?と思い、テレビをつけると、神戸が映し出され、火事とか被災の様子が映し出され、唖然としました
その頃は地震も今ほど全国的にもそんな無い頃で、ましてや関西で地震なんて起こるはずないという変な確信?を多くの関西人は持っていたのではないかと思います💦
なので、テレビに映し出される画像が嘘か、劇中の出来事のようでした
地震の後、自営をしていたので見本市というのがあり、西宮へ行くことになりました
問屋さんがぜひ来てと言われたからです
行って、目撃したのが、有名な高速の高架が横倒しになっている風景でした😨
その後、来られたお客さんの中にも、被災され屋根にブルーシートをかけてるとか言われてる方もおられました
現在でも、ブロ友さんや、会社の上司で被災された経験のある方の話を聞くことがありました
それくらい関西人にとって忘れ得ない天災であったと思います
人は辛さを忘れるために、記憶がだんだんと薄れていったりします
それは精神衛生を守るために仕方ないことでもあるようです
ただ全く風化するのは同じ過ちを繰り返すことになるので、完全に忘れることなく教訓として活かしたいものではあります😌
神戸港震災メモリアルパークを少しいったとこから見渡す

メリケンパーク内のことが続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ