前回からの続き(3月3日のこと)です
堀川通りを上り(北上し)、北大路通りで西へ向かいます
すると大徳寺が見えてきます
北大路通りに面した南門を通りすぎ、「建勲神社前」の信号とこで右折すると「京の冬の旅」で公開しているお寺が見えます
大光院(だいこういん)

住所・京都市北区紫野大徳寺92
御本尊 釈迦如来
駐車場なし
受付から先は撮影禁止
歴史
文禄元(1592)年、豊臣秀長の菩提寺として奈良・大和郡山に創建
慶長4(1599)年、秀長の家臣であった藤堂高虎により大徳寺山内へ移される
昭和30(1955)現在地へ移動
(ガイドブック参照)
北大路通りから脇道を入ると、すぐに左手に山門が見えます

山門

山門くぐると、銀閣寺のように植え込みで塀になっています

門くぐったとこに梅も咲いていました😊

左手には鳥塚

参道行ったその先にも石碑

参道先の玄関

その手前の左側に、ここも降り蹲のようなものがありました

先にも書いたように、受付から先は撮影禁止なんで、画像はここまでです😅
拝観券
玄関入って右側へ行くと、左手に文政年間(1818〜1830)に再建されたという客殿があります
ここで目を惹くのは奥州・伊達家が寄贈した狩野探幽筆という「雲龍図」の襖絵でした😲
(拝観券の画像です)
そちらには豊臣秀長の木像が安置されていました
そこには他に、開祖である古渓宗陳(こけいそうちん)と二世・蘭叔宗秀(らんしゅくそうしゅう)の木像もあります
その古渓宗陳という方は、千利休の参禅の師であり、秀長の葬儀の導師を務めた方ということです
(ガイドブック参照)
客殿と廊下を挟んで反対側には「蒲庵(ほあん)」という茶室がありました
この日解説してくれたガイドのおばちゃんが秀逸で、いつ特別公開で見てもよく分からない茶室の解説をおもしろおかしく解説してくれました
それでも分かったのはほんの一部ですけどねf(^^;
その分かった一部の話し
部屋入ったとこの左側に、障子があるのですが、これは両面に紙が貼られて、さんが見ないように貼ってある「太鼓貼り」というものだそうです
普通の障子はこんな感じですよね

それが襖みたいにしてあるんです
じゃあ、手を掛けるとこはというと

こんな感じで斜めに貼ってあり、ちゃんと持つとこがあるんです
これは手間だけど、さんに埃が着かない仕様になっているんだそうです
入ったとこ正面に見える障子はさんと、貼りあとが互い違いになっています
普通は

こんな感じで繋ぎ目が見えなくしてありますよね
この貼り方は石垣みたいなんで「石垣貼り」と呼ばれるそうです
見た目からついた名前みいたでした
ただこれが御所だと同じ貼り方でも「御所貼り」と言うんだと教えくれました😁
茶室の周りに松葉が巻いてあります
これは苔を守るためのもので、敷く前には湯がいたりして手間が掛かっているように言われていました(@_@;)
面白かったのは、利休が茶室を作った頃は、入り口が小さいものが1つでした
これは茶をするものは平等だというような意味合いだったと思います
それが後々には、貴賓の人が入る大きな入り口が出来たりしたそうです
それだと本来の意味が無くなると思うのですが、同じ武将(古田織部など)が造ると、秀吉とかに気を使ってそういう本来と違うものになっていったんだろなぁ?🤔とか聞いてて思いました😅
こちらで頂いた御朱印(300円)です

次回も冬の旅のことになります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ

