今回も綾部市のことになります
篠田神社からだと、前を走っている府道494号線を西へ向かいます
すると今度は府道490号線(物部西舞鶴線)に当たるので、それを左折(南下)
すると今度は府道9号線(綾部大江宮津線)に当たります
そこを右折
そこを西へ向かうと、福知山市の大江町へ出ます
その境の峠の手前に左へ行くと、式内社があります
高藏神社
住所・京都府綾部市西坂町宮ヶ嶽21
旧社格  村社  式内社
御祭神  竹内宿称
駐車場 近くに停めれるスペースあり
上は府道9号線から脇道へ逸れて少し走ると見える風景
神社の杜となっています

杜に入ったとこから、神社の一部が確認出来ます

杜を抜けたとこに手水舎
その先には牛頭神社

境内を見渡します

由緒
  延喜式内社(厄除け延命長寿)
 高蔵神社由緒略記
鎮座地 京都府綾部市西坂町宮ヶ嶽二十一番地
創祀年月日 延喜式巻九の中に記載があり、延喜時代901年以前の創始であると考えられる。
社名 「新訂増補国史大系延喜式」には、高蔵神社(タカクラカムヤシロ・タカクラミヤノヤシロ)と二種類の訓がつけられている。小字名に「高倉」があり、律令時代に食糧などを保管する高蔵が建立され、その由緒から社名がつけられたものと思われる。
近世には、大蔵大明神高蔵大明神とも称された
ご祭神 「竹内宿称」である。宿称は古事記、日本書紀の伝承に現れる大和朝廷の発展に尽力した政治家で、孝元天皇の曽孫とも言われる。
鎮座の里の字名に竹(武)乃内の地名が残っている。
式内社となったのは ご鎮座の西坂町が古代早くから開拓され、文化が開けた豊かな集落であり、当社の近くに円墳一基、北方に三基がある。
 社伝によると、古来より厄神と言われてきており厄除け延命長寿の霊験あらたかであると伝えられている。また、往古より宮ヶ嶽の頂上に祀られていたものを中世に現在地に遷し祀られたものと言う。
遷座されたのは 毎年国司が奉弊のため参詣の際、余りに急峻のために度々落馬することなどあり、中世にこの地に遷し祀ったとも言われている。また、社殿の衣冠束帯の八体の神像は、宮ヶ嶽山頂に祀られていた社殿の礎柱を以て刻まれたとの口伝もある。
 更に、竹の内の小字大門には、常夜灯として氏子が御灯を献じ続ける灯篭がある。これは、高蔵神社が、宮ヶ嶽の山頂に祀られていたころ、灯を献じ山頂の男宮を崇め敬った遥拝所であったと考えられる。
本殿の建立は 棟札から、享保14(1729)年9月吉辰と建立されているが、多分再々建でありうと考えられる。
(原文のまま・一部抜粋)

本殿

狛犬


彫刻は簡素なものでした😞

斜めから

右横にある社殿

左側の社殿

動画も撮りました

おそらく宮司さんとは在中されていないんじゃないか?🤔と思います😅

次回も綾部市のことが続きます😌
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ