前回からの続きです
(令和2年9月28日のことです)

東洞院通りを下って行くと、右手に隠れるように石碑があります
画家呉春宅址
住所・京都市中京区東洞院通錦小路上る西側
呉春
1752~1811年
松村月渓とも称する
京都金座役人の家に生まれる
与謝蕪村円山応挙に学ぶ
四条派の祖となる

ちょうど文博で見たこちらの絵がそうでした
こんな絵を描かれる人です

更に下っていくと、今度は左手(大丸京都店)のとこに石碑
薩摩屋敷之址
住所・京都市中京区東洞院通錦小路下る東側

解説
 江戸時代の諸国大名は、江戸とともに京都の市中にも藩の出先機関として藩邸を構えていた。薩摩藩もそうした松平(島津)薩摩守の京屋敷であった。この場所に大名の屋敷が設けられたのは16世紀末か17世紀初頭からと考えられる。江戸時代に多数出版され「京絵図」の類からその変遷をみると、まず最初は山城守松平忠国の屋敷であったが、17世紀末の一時期は松平下総守の屋敷になり、その後18世紀初頭からは約160年間にわたり代々の薩摩守(島津氏)の京屋敷となっている。薩摩藩邸の入口は当初錦小路にあったが、後には東洞院通にも拡張されている。
 薩摩藩邸は18世紀の「宝永の大火」「天明の大火」で類焼したが、その都度再興されてきた。しかし、幕末に京都市街の大半を焼いた「蛤御門の変」(1864年)による兵火で焼亡した後は、明治3(1870)年に他の緒藩の京屋敷と同様に廃邸となった。
(原文のまま)
ここで疑問が?
他のとこにもあったのに?σ(^_^;)?
その事については、いしぶみデータベースに書いてありました
薩摩藩の京屋敷は、当初室町通四条下るに設けられたが、おそくとも宝歴年間(1751~1764)にはこの地に移転した
さらに等持院村(現在北区白梅町)にも広大な屋敷を構えた
この地にあった本邸は1500坪以上の敷地をもっていた
とあるので、同時期に3つほど藩邸を持っていたようです(゜ロ゜)

そこにはこんなカリヨンもありました
解説
カリヨン(8鐘)付モニュメント時計
カリヨン(carillon)は英語とフランス語の普通名詞で“組み鐘”“鐘楽”“鐘演奏”などを意味します。
 このカリヨンは、制御器はベルギー製、鐘はオランダ製です。
 午前10時から午後7時までの毎時に季節に応じた曲で時報を奏でる時計です。
(原文のまま)

もう少し中京区の散策続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ