前回からの続きです
(令和元年8月24日のことです)

四条通りを東(八坂神社方面)へ歩いていきます
すると鴨川があり、そこを渡った左手の川沿いにずっと見たかった像がありました
出雲阿国像
住所・京都市東山区川端町


解説
慶長8(1603)年、出雲の阿国はこの四条河原で先鋭的な伊達男風の扮装で「かぶきをどり」を披露、関ヶ原合戦後のすさんだ世に都人を驚かせ絶大な喝采を浴びました
歌舞伎の元祖といわれている阿国の出生は不祥ですが、出雲大社の巫女で一座を率いて勧進のため入洛、北野天満宮の定舞台で名声を得て各地を巡業しその人気が広がりました
江戸時代に入り、風紀を乱すと女歌舞伎禁止令が出て、男が女形を演じるようになり今日の歌舞伎に発展しました
阿国は晩年出雲に帰り、尼僧となって生涯を終えたと伝えられ、その墓は島根県大社町と京都の大徳寺高桐院(行ったとき聞きましたが見ることは出来ません)にも存在しますが、伝説の域を出ません
(解説のまま・カッコは体験談)

そのちょっと上がったとこに井筒八ツ橋本店があるのですが

そこにはこんな石碑がありました
北座跡
住所・京都市東山区常盤町149−1

駒札
寛文10(1670)年以降、鴨川の両岸に新堤が築かれたことによって鴨河原の風景は一変した
河原は「新地」(新造成地の意味)となり、ここに広大な芝居小街と茶店町が出現することになった
その芝居小屋は多いときで七軒ありましたが、たびたびの大火で十九世紀末には北側に一軒、それが北座
そして南側にも一軒
それが現在唯一残った南座なんだそうです
ちなみに北座は明治26(1894)年に四条通り拡幅により消滅したということです

これも前回に引き続き文博でちょうど撮っていたものです
解説
南座周辺の模型が展示されていましたラブ
芝居小屋がようけあった頃の雰囲気が分かってもらいやすいんじゃないでしょうか⁉

その唯一残ったご存知南座
住所・京都市東山区四条大橋東詰町 
国の登録有形文化財
元和年間(1615~1623年)に幕府から公許されたやぐらを有する7つの芝居小屋の一つ
幾度かの改築を経て、外観とは異なり、最新設備の近代劇場であります
(京都大知典参照)

この時は中村獅童の超歌舞伎をやってました

その南座の西側にあるのは

阿国歌舞伎発祥の地の石碑

駒札
この碑は昭和28(1953)年11月吉例顔見世興行を前に歌舞伎発祥三百五十年を記念して松竹株式会社により建設されたものです

その南座から更に八坂神社方面へ向かうと、四条通り沿いにこんな施設があります
漢字ミュージアム
住所・京都市東山区祇園町南側551
行った頃くらいにブロ友さんらがアップされていて、気になっていたのですが、さすがに時間が時間になり、余裕がなく、この日はスルーとなりました(^^;
こちらにもまた行ってみたいと思ってます

次回は神社のこととなります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ