前回からの続きです
化野念仏寺から戻っていきます
その道中で見落としていたものを見て(補完して)いきます( *´艸`)
清滝道との別れ道になってるとこの八体地蔵

住所・京都市右京区嵯峨鳥居本仏餉田町
そこから少し先に御陵があります
後亀山天皇嵯峨小倉陵

住所・京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町
後亀山天皇(99代)
?~1424年
在位 1383~1392年(推定)
この頃は南北朝時代
後亀山天皇は南朝
三種の神器は後亀山天皇が持っていましたが、南北朝統一のため、北朝に渡されました
そして約60年ぶりに統一
統一に至ったのは、南朝の勢いが衰えたからとも
出家して大覚寺に住む
統一するさい、後小松天皇(108代)の次は後亀山天皇の皇子のはず(約束)が反古にされ吉野へ出奔
経済的な貧窮が甚だしかったからとも言われているそうです
6年後、幕府の説得を受けて帰京
その後は小倉山で余生を送られたということです
(天皇125代の歴史・歴代天皇事典参照)






そこから下っていって、清凉寺を目指します
その道中にあるのが中院山荘跡

住所・京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町 府 道 50 号線
駒札

鎌倉時代初期にこの辺り(それが厭離庵とも言われる、なおその厭離庵は時雨亭跡とも云われているそうです)に蓮生という僧の中院山荘がありました
蓮生は北条時政の娘婿でしたが、謀反の疑いを受け出家
後に上京し、法然上人、善恵上人に師事
蓮生は和歌の名手で、近くに山荘を構えていた藤原定家とも親交があり、娘が定家の子・為家に嫁いだそうです
嘉禎元(1235)年5月、定家が蓮生に山荘の障子に貼る色紙の執筆を依頼され、快く応じます
その時の選歌が後の小倉百人一首へと繋がったと言われているそうです
だから小倉百人一首ゆかりの地と言われる由縁なんですね
その先には厭離庵への入り口の石碑

島原の置屋「扇屋」の大夫
扇屋が大阪・新町に移転すると大阪で最初の大夫に
この地で生まれた夕霧大夫が初代で、寛永三名妓と言われる
若くして亡くなり(22歳、27歳とも)、大阪の浄国寺に葬られる
お墓は浄国寺の他にも清凉寺、和歌山、徳島にもあるそうです
浄瑠璃や歌舞伎はおろか、なんと俳句の季語にまでなっている人物ということでした!
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(Wikipedia参照)
次回はその夕霧の墓があるという清凉寺となります
こちらは以前に行ってるのでさら~と(笑)
前回見逃していた秀頼の首塚を見るために行ったのですが、今度は夕霧大夫の墓を見落としていたので再訪決定です
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ


