今回は福知山市の神社のことになります
場所は、生野の里から福知山に向かった右手にあります
生野天神社
旧社格 村社
御祭神 大戸道尊 大戸辺尊
駐車場なし
道路横に階段があり、そこを上がると境内になります
最初に出迎えてくれるのが、こちらのお地蔵さま
その先に境内社

境内

鳥居と本殿

柱が四角くちょっと珍しい

正確に言うと覆屋ですが

狛犬


由来記

この天神宮は用明天皇の頃、約千五百年前丹波の国七天神の一社として建立され、寛政年間改築
元禄7(1694)年京都吉田の住人により御神体菅原道真公を再献されて今日に至ったもので
大江山生野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立
と小式部内侍の詠める古跡「生野ノ庄」たもとの杜の社として崇拝され、道真公のその生涯を通じて垂範された「至誠愛隣」の大道と「和魂漢才」即ち莫才を養う文道の神として仰がれ得られた社である
(原文のまま)
こちらは前にも書いた七天神の一つとなります
覆屋はけっこうゴツいです

本殿から眺める

境内社

その前にちょっと変わった石燈籠?

こちらにはこの様な伝承があるようです
金の椎の実

生野の天神さんの森には椎の古木がたくさんありました。この椎は、大昔、大神宮さまが丹波から伊勢へ移られる途中、ここでお休みになりました。その時におともの者が、食用としてもっていた椎の実をまいたのがもとになり、立派な氏神さんの森になった。と伝えられています。
この生野の里にみいちゃんと呼ぶ十歳位の女の子がおりました。お父さんはなくなり、お母さんと二人暮らしの気のやさしい女の子でした。お宮さんの下にある雲田たんぼに黄金の波を打たせてみんなを喜ばした稲がすっかり刈り取られた頃、お母さんは病気になりついに寝込んでしまわれました。
心配なのはみいちゃんです。何とか早く元気になってもらいたいと毎朝早く起き出して天神さんへお参りしました。
今日もお参りして帰ろうとしますと、大きな椎の木の根元に白いものがうずくまっているのが目につきました。何だろうかとこわごわ近づいて見ますと、鉄砲で打たれたのか、あるいは木の上の巣から落ちたのか、白い羽を血ぞめにした、こうの鳥が傷ついた両足でひな鳥をかかえてうずくまっているではありませんか。みいちゃんは「かわいそうに。」といいながらだきかかえて自分の家に帰り、近所で大きなかごを借りてきてわらを敷き、その上に親子鳥を入れてやりました。水を与えたり、たにしやかえるを捕らえてきてえさにしました。親鳥は二、三日で死んでしまいましたが、子鳥は日増しに元気になり、飛び立てそうになりました。
お母さんの看病の上、毎日鳥のえささがしに困り、仕方なく子鳥をかごから出しました。子鳥は喜んでバタバタと音をたてながら飛び立って行きました。
それから二、三日たった静かな夜のことです。みいちゃんの枕もとで声が聞こえるので目をさますと、頭巾をかぶり紫色の衣をきた少女が、「私はお世話になった鳥です。そのご恩返しにお母さんのご病気をなおします。あの月が満月になったら、森の中の池のつつみに金色の椎の実を置いておきますから、それをせんじてお母さんに飲ませなさい。お母さんはきっと元気になられます。さようなら。」といってきえました。みいちゃんは、「待って下さい。」と後を追いましたが、もう姿は見えません。しかし飛び去った後に一本の黒い羽が落ちておりました。みいちゃんは夢であったかと思いながら、満月の夜、池のほとりを探しして帰り、いわれたとおりこれをせんじて母に飲ませますと、母はめきめき元気になりました。
女二人暮らしの家ながら、近所の人々もうらやましがるような明るい楽しい毎日を送るようになりましたが、みいちゃんの家の床には一本の黒い羽が飾ってあったということです。
福知山市老人クラブ連合会発行「福知山の民話」より原文のまま
この話はテレビの「マンガ日本むかし話」でも放映されたことがあります。
昭和10(1935)年まで椎の巨木が残っていました。
(原文のまま)
マンガ日本昔話で放映されている昔話が、身近にあるとは思っていなかったので驚きです!
今回の選り抜き言葉
(才覚は、天神祭りの花火と同じやなぁ)とおもわざるをえない。
同じ趣向の花火かつづけざまにあがれば客が飽くのだ。飽けば客が散る。花火と才覚は、つねに変えてゆかねばならない。
俄(司馬遼太郎著)より
一つのことを磨き上げることがいいものもあれば、このように変えていかないとダメなものもあり…
かと思えば、同じ俄に
世間は渡りにくい、などというが、たった一つの特技さえあれば結構渡ってゆけるようである
とも書いてあります😅
一点突破?となるなら、よほど強い特技でないと一点突破は難しいのかもしれません
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ



