前回からの続きです
これも府道へ出るまでにあったもの
あったのは資料館手前にある愛と光の家というカトリック教会
見た目は普通の民家なんですけどね
これは史料館の入ったとこにあった近辺の地形の模型の説明を見て、受付のおばちゃんに確認したので寄りました
これは史料館の入ったとこにあった近辺の地形の模型の説明を見て、受付のおばちゃんに確認したので寄りました
行きがけは気づかなかったですから
f(^_^;)
ちなみに高山右近は、父親が洗礼を受けていて、右近も洗礼を受けました
洗礼名はジェスト
千利休の七哲の1人でもあったそうです
そして高槻城主となりましたが(その後客将に)、徳川幕府によりキリシタン禁教令を発布【1612(慶長17)年】され、マニラへ追放【1614(慶長19)年】されました
そしてその地で死去【1615(慶長20)年】しています
没後400年にあたる平成28年(2016年)の翌年にローマ教皇庁に福者に認定されました
これも府道へ出るまでにあったもの
この辺りは隠れキリシタンのものだけでなく、遺跡なんかもけっこう出ているようでした
ただそれは新名神を造るときに、発掘されたものなので今は無いとこばかりみたいですが
(^^;
昨日の史料館のVTRで見たことで書いてなかったことを
隠れキリシタンの里という噂は前からあったそうです
それを確認するために調べた人が、案内人の人から聞き出すことに成功(案内人の人は自分たちが隠れキリシタンとずっと言わなかったから)しました
その証拠となるような物を見せるとき、おばあちゃんたちは言ったそうです
「バレるとおとがめをうける」と
江戸時代はキリシタンを取り締まっていたから、隠れキリシタンになったわけですから、明治になって時代が変わったことを山奥で知らなかったので恐れていたそうです
この話を聞いて、戦争で孤島にいた小野田さんとかのことを思い出しました
(^_^ゞ
地味に茨木散策続きます
では、またぁ~( ≧∀≦)ノ




