前回からの続きです
城址公園の次に目指したのは木津川市2017秋 社寺秘宝・秘仏特別開扉の1つ安福寺です

その前に関連するとこに寄ってみました
そのお寺の近くにあるという、安福寺で供養されてる平重衡の首を洗ったという池です
住宅地の中を歩いていくとありました

(・_・?)
池は無いけど柿の木はある?

解説板によると、平重衡(しげひら・清盛の五男)は源氏に味方する東大寺・興福寺を焼き打ちにしました
その後、一ノ谷の戦いで源氏に敗れた重衡は、虜囚となって鎌倉の源頼朝のもとへ送られましたが、南都の衆徒の強い引き渡し要求に頼朝も折れ、元暦二(1185)年6月23日、木津の地まで送られてきました
南都の衆徒は、木津川の河原で、念仏を唱える重衡の首をはね、奈良の般若寺にさらしました
その際、この池で首を洗い持参したと伝えられています
この解説板では、その後、重衡を哀れんだ土地の人々は柿の木を植えましたが一向に実らず、このことから不成柿と称されています
となってますがお寺の由緒書きには、重衡が最後に食べた柿が生長したもので、柿の実が成らないと伝えられている
と少し違ってます
どちらが正しいのかはもう分からないことなので、どちらでもいいのですが
最初に見てもらっての通り

たわわに実ってる(笑)

こんな標柱まであるのに(^^;
時代と共に変わったとしか言いようがありません
変わったと言えば、首洗池も今では無くなっています( ̄▽ ̄;)
ただ変わってないこともありました
それはこの辺りを昔から平重衡住宅(確かそんなようなことを言われてました)って通称で言われてるそうですが、今でも言われてるそうです
ご住職から聞きました(^^)

府道47号線に戻って、左へ曲がるとすぐそこに安福寺はありました


住所・木津川市木津宮ノ裏274

御本尊 阿弥陀如来像

別名 哀堂(あわんどう)

HP 安福寺 (木津川市観光協会)

山門の前に駐車場もあります


山門をくぐると、左手に十三重之石塔が建ってます

こちらが平重衡卿之墓です

由緒書きによると、ここに首から下が埋葬されているということでした


山門くぐってすぐ正面は本堂

こちらは近年建て直されたそうです


その右手には


庚申堂

その横には

ちょっとした庭園となってました

こちらでもご住職が解説をされていましたが、語り口も軽やかで話しも面白いものでした♪(*´∇`*)
そして堂内の撮影もOK!(≧∇≦)
というのも、SNSとかにすでにバンバン出てるから、みんなが喜ばれるならいいですよ、との好意からでした
非常に記事とか書いてるものからしたらありがたいお寺さんでした!

お言葉に甘えて堂内

哀堂という額が掲げてあります
哀堂と書いて、「あわれんどう」と呼ぶんだそうです
御朱印もこの文字でした
ご本尊は、阿弥陀如来さま(坐像です)
市指定の文化財ですが、由緒書きによると
重衡が木津川の河原で処刑される際、阿弥陀佛を運び出し重衡の前に置き、佛の御手にかけた紐を、重衡が持ち「浄土に迎えられますように」と念仏を唱えながら斬首されたといわれているそうです
そこから重衡引導佛、重衡臨終仏という風に言われてるそうです

阿弥陀如来坐像解説

こちらは外陣の四隅に四天王が祀られてます

これは参拝者を守るということからそうされてるんだそうです
それを聞いて、この後に行った常念寺でもたまたまなのかそうなってるのには驚きました!(゜ロ゜)

堂内には

涅槃図なんかも展示されていました
ここでの解説も面白かったです
涅槃図にはお釈迦様のお母さんが雲に乗って薬を届けにきて、その薬袋をお釈迦さまに投げるんですが、ほとんどの涅槃図では薬袋が木に引っ掛かって薬が間に合わずお釈迦さまが亡くなるって絵になってるそうです
それがこちらでは枕元に薬袋があって届いてるんですが、お釈迦さまはそれを飲まずに亡くなったという絵になってます
それはお釈迦さまは、薬を飲んで少しくらい長生きしてもいずれ死は訪れる
だから死を訪れることを恐れなくてよいと、薬を飲まなかったという解釈になってるんだそうです
こういうのもそういう解説 してもらうと、分かりやすく、見るだけでは分からないことも知ることが出来ました!!

そしてこちらにある平重衡肖像画


こちらの御朱印です

買い置きだけでした
常はどうか分かりませんf(^^;

由緒書き


小さなお寺でしたが、歴史を感じれるいいお寺でした
それにご住職もいい方で良かったです♪(*´∇`*)

今回はいつになく文字が多くなりましたが、読んで頂いた方はありがとうございました!(^o^)
次回は特別公開のお寺です
では、またぁ~(o・・o)/~