前回からの続きです
気比の松原を後にして、次に気になって向かったのは「金崎宮」
近くに駐車場がありました

駐車場にあった案内板
金崎宮を目指すと、右手にお寺さんが
よく見てみると秘かに巡ってる若狭観音霊場じゃないですか!
もちろん行ってみることにしました

Σ(゜Д゜)
寺号標かと思って撮してたら社号標でしたf(^^;

金前寺(こんぜんじ)本堂


こちらは3つの霊場になってるようです

金前寺寺歴

銅像、五重塔など
本堂手前には

小坊主さんの銅像が
そこにはこんな言葉が書いてありました

うまいこと言うなぁ(笑)

本堂から金崎宮の方へ向かうと

このような看板があり

小さなお堂があります
その横にあるのが





芭蕉翁鐘塚というのがありました
お堂にはこんなポスターも


芭蕉がこの辺りに来て、詠んだ句が書いてありました
お堂の近くにも

お堂
この近くにこんな駒札が

今もフェリーの発着場となってる敦賀ですが、昔も北前船で賑わってたことが分かる話しです
(^_^)b

こちらは本堂に書き置きの御朱印がありました

若狭観音霊場

北陸観音霊場

こちらのお寺の話を少々
ご本尊は十一面観音さまで、「袴懸の観音」と言われてるそうです
そしてこちらのお寺はもとは気比宮奥院で、延元の役(1336~37年)には 後醍醐天皇の皇太子の 恒良親王(つねながしんのう)、尊良親王(たかながしんのう)の行在所となったそうです
近くにある金ヶ崎城は新田義貞が築いたもので、延元2(1337)年3月6日に足利軍に攻められて敗走
そのとき義貞が陣鐘を海へ沈めたそうです
この後、恒良親王、尊良親王、新田義顕(義貞の長男)は捉えられ、金前寺の観音堂で自害させられたそうです
のちに芭蕉が訪れたとき「月いづこ 鐘は沈る うみのそこ」と詠んだのは、延元の役のとき軍鐘をこの浜に沈めたというこの出来事にちなんだものだそうです

(福井県の歴史散歩・由緒参照)

駐車場から金崎宮へ向かうとき、駐車場の片隅にこんなレンガの建物がありました



旧敦賀港駅ランプ小屋だそうです
そこにこんなチラシがありました


ランプ小屋のことが解説されてます

ランプ小屋の中はこんなになってました

ランプが展示されてました
このランプはこのように使われていたそうです



次は金崎宮へ向かいます
では、またぁ~(o・・o)/~