お彼岸が過ぎて、父母の結婚記念日でした。
お彼岸用の百合に加え、記念日用の花たちは悩んで迷って選び、飾ったらいい組み合わせで嬉しかったです。(自分の感覚で)
本題の前に前置きが長くなりますが、、
父は楽しいことが好きな人だったので、黄色やオレンジの明るい色がいいかな、とも思いましたが、優しいピンク色のチューリップと薄ピンクのラナンキュラス?(多分。。)が写真の中で寄り添う二人と重なりました。
いろんなことがあって、血のつながりのない両親たちが、60代頃から、まるでずっと仲の良かった夫婦のように見えるのが正直、凄いことだと思っています。
お互いが許し合わないと、この関係性は在りえない。
父が他界した年齢に近づいて、それぞれの立場に立って振り返ると、自分にできるか、自信がありません。
わたしが20代頃まで、父母間だけでなく、親族関係も含めていろいろあり、子供のその頃の視点では理解は難しく、長い時間が過ぎて、何年もかけて整理した実家のたくさんの荷物の中から見つかった父母の残した物から、言葉にしなかった”わたしへの想い”を知りました。
わたしが生まれる前、この世に生を受けられなかった二人の兄?姉?がいます。その二人の分も含め、そして、当時子供だったわたしの養育環境を一般的に保てなかったことへの後悔の分、後に「その時にできることを精一杯しよう」と努めていたことがわかりました。
幼少期から10代、そして、それ以降も、母の心の病は突然現れ、日常にまるで嵐が吹きすさぶように訪れ、しばらくすると去ることを繰り返していました。
その中で10歳頃に起きた親族間の争いは、その後のわたしの人間関係に大きな影響を与えてしまいました。
今思いつく一部の出来事ですが、そんな諸々があり、心の底から両親からの愛情を感じるためには、とても長い時間がかかりました。
それでも、そこに辿り着けたのです。
いつもいつでも繋がっている感覚。満たされている感覚。
ずっとずっと求めていたこの安心感。
姿は見えないけれど、いつも一緒。
自分も足りないところがたくさんある。
人も同じ。
”足りないところのある自分、酷いことをしてしまった自分が許されて存在していること”
全ての人を、全て受け入れられなくてもいいけれど、それに気づくと、「ま、いいか。」と、過去の自分より軽く受け流せるようになりました。
「人間だもの」相田みつお
そして、やっぱり”感謝”。
悲しかったことにしか意識が向かなかった頃より、してもらったことに意識が向くようになると、見える世界が変わりました。
長い時間がかかりましたが、いろんなもので埋めようとしても埋まらない穴が、埋まったのです。
もし、かつてのわたしのように、なかなか欠乏感が消えないなら、”心の傷”に寄り添ってあげましょう。
その為に、いろんなことをやりました。気になることはやり尽くしました。
そして心の穴は埋まり、欠乏感が消え、感謝で満たされたのです。
これはわたしの辿った道。
読んでくださったあなたにはあなたの道がある。
簡単ではないかもしれないけれど、求め続ければ、きっとそこに辿り着ける。
祈っています![]()
途中の道のりでは、何度も辛い、もう無理かも、って思ったけれど。
諦められなくて、探し続けました。
今は、人生って味わい深いな~って思っています![]()
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介護者の参加は難しいのは分かっていますが、
運よく繋がり、少しの時間でも話すことで心が軽くなるひとときになると嬉しいです。





