今日は新月
似たような環境で育った
子供たちの心が少しでも救われて
人を信じられる社会であることを願って
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【一番手放せなかった出来事】
※重い話が苦手な人は閲覧注意。
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いくつかあるうちの
人と距離を置くようになったきっかけになる
一番大きくて重くて
後の人生でもずっと影響を与えたこと
小学5年生の頃
恐らく引き続き何度か起きた
”母の発作=怒りの感情の爆発”
ほとんどの発作の矛先は
わたしが二十歳を過ぎる頃までは
父とその親族に向けられていた
きっと父が仕事から帰ってきたり
週末だと家にいた日なのか
詳細は覚えていない
2階に自分の部屋があり
そういう時は下の階から争いの声がしてきた
そして
わたしが”母に加勢し父と戦うパターン”が繰り返されていた
小さいころは大好きな父だった
母が嫉妬して
「あたしのところに来ないのに
パパのところに行って膝のあたりにしがみついてた」
とかよく言われた
それが
小学生になって
父の帰りが遅くなり
父との時間が減り
そこに
母の幼少期の祖父との辛かった出来事や
父への不平不満の感情を吐き出す相手としての
時間が増えていき
それに比例するように
父を嫌うようになり
それだけでなく
”家庭不和は父のせい”だと本気で思うようになり
憎いくらいの感情を持つようになっていった
その中の”今でのなくしたい出来事”
詳細はここでは割愛するが
父とその親族と母が後に家庭裁判所で争うまでになった
電話でのやり取りを
母の指図で自分が電話に出る代わりに
”わたしが母の代役として父の親族と会話した”こと
ただの伝言役ではない
”争い上での会話の橋渡しを小学5年の子供にさせた”
もう一つは
2階にいた時
下の階から”いつもの争いの声”がして
”いつものように母の加勢に入り”
その時
わたしは父に思いつく限りの暴言を吐き
父の頬を叩いた
父もよほど腹が立ったのだろう
とても軽くだけれど
わたしの頬を父の手が軽くかすった
この時の
父の頬を叩いた掌の感覚を
生涯忘れることはないと思う
母は病気だった
一人で抱えて
一度は私を道連れに
「死のう」と言ったこともある
恐らく
というよりきっと
祖父は知っていたと思う
時代のせいだとも思う
”心の病”を表に出せない時代だったと思う
けれども
”大人の頭”で考えれば理解できるが
”子供の頭”には理解することはできない
誰がどうすべきだった とか
誰が悪い とか
過ぎたことをどう言おうと思おうと
過去は変わらないのもわかっている
ただ
今も強く思うのは
誰か
”気づいた誰か”が
”何かできること"
家にあるお菓子をあげる、とか
日常でできる簡単なことを
できる範囲でいいから
”思いやりを持ってやること”
それだけでも
”このような状況の子供”の
『心が少し救われて』
『その先の人生で自分や人を信じること』
ができたり
『犯罪に手を染めないで生きる』
ことができるかもしれないと思っている