この一部屋しかない家、私が子どもの頃に節子と見に行ったらまだ人が住んでいて驚きました。節子の幼少期にはその家に祖父母と節子たち三姉妹、さらに祖父の両親が暮していました。

 

祖父は終戦で樺太から引き揚げたため財産はなく、しかも郵便局だったか、安定していそうな仕事を結婚の際に退職金目当てでやめてしまったとかで、卵屋をしていました。養鶏場から卵を仕入れて、菓子店などに売ります。当時の卵は鶏のフンで汚れていて、冷水で洗うのが大変だったそうです。節子も卵を自転車の荷台に積んで配達に行き、途中で転んで割ってしまったり…そもそも当時すでに時代遅れな仕事で、すごく貧しかったようです。

 

私が生まれた頃にはさすがに卵屋は廃業していましたが、高齢になるまで祖母は清掃、祖父はパチンコ店の駐車場整理で働いていました。祖母は熱心に掃除しすぎて覚醒剤を見つけるという事件もあったそうです。祖父はパチンコのお客さんにもらったチョコレートをいつもくれました。

 

私が大学生の頃、祖父母が住んでいた築100年近い借家が取り壊されることになりました。一部屋しかない家とは別の建物ですが、祖母の姉から引き継いで50年ほど住んでいたため、退居でまとまったお金をいただきました。それを元手に競売物件の築浅マンションを買い、暖かい持ち家で今後の生活が見通せたのか、晩年の祖母・八重はよく「お金ならある」と言っていました。八重、末広がりな人生です。

 

★樺太時代の不思議な話★