友達との遊びにおいて、ゲームや勝負事はよくあることですが、これは本当に大変な遊びでした。
勝負になると、なぜか「絶対勝ちたい!」と思ってしまうのです。
「ゲームは負けても次がある」、「負けることも勝つこともある」と、普段はそう思っているのですが、いざゲームが始まるとダメなのです。
心の底から「勝ちたい!」という気持ちがわき上がり、その強い思いは自分でも制御することができません。
一体何の闘争本能か・・・と思います。
国語~読書感想文
の記事に書きましたが、自閉症は自分の内面の感情を上手に意識することができません。
そのため、感情の表現がゼロか100かとても極端なものになってしまい、ゲームに負けた時のとても強い感情表現を見て、周りの友達が驚いてしまうことがあります。
周りの友達にしてみれば、「そこまで勝ちにこだわらなくても・・・」、「別に負けたっていいじゃない」と言いたいところだろうなと思います。
私はゲームに負けると、悔しくて泣きました。ふてくされました。すねました。人のせいにしました。
その態度は、マナーが良いとはとても言えません。
そんな時、周りの大人は色々と声をかけ、励まし、なぐさめようとしてくれるのですが、
「次頑張ろう」と言われても、私は『次』ではなく『今』勝ちたかったのであり、
「泣いたら楽しくないよ」と言われても、私は『泣いたから』ではなく『負けたから』楽しくないのであり、
「ゲームは勝つことも負けることもあるからおもしろいのよ」と言われても、強い闘争本能に振り回されている私にとって、ゲームに負けることがおもしろいはずがなかったのです。
そして、それらの正しい考え方を心から受け入れることができないからこそ苦しく、負けた時に周りが望むような態度を取ることができないことがとても悲しかったのです。
そのうち、成長とともに、私は少しずつ負けることを受け入れられるようになっていきました。
特に何かきっかけがあったわけではないのですが、おそらく、周りの友達が負けた時の様子を見て、負けた時の態度の取り方を少しずつ学んでいったのだろうなと思います。
また、ゲームは勝つことも負けることもあることを、経験しながら受け入れ、理解していったのだと思います。
最近では、負けを受け入れるどころか、勝ちたいとさえ思わなくなりました。
多分、息子が勝ちにこだわってかんしゃくを起こしている様子を見て、「こんなに激しいかんしゃくを起こされるぐらいなら私が負けるから!」と、自ら負けることを望むようになったからなのではないかと思います。
こういった勝つことに対するこだわりへの対応方法としては、
「ゲームに負けても、泣かずに我慢することがカッコ良いね」と負けた時の態度の取り方を教えたり、泣く以外の感情の発散方法を一緒に探したり、負けた時の正しいリアクションの取り方、表情、態度などを教えることが大切なようです。
それらは、負けた時の正しい表現方法を知らない子どもにとって、とても大切なことだと私も理解しています。
ただもう一つだけ、私は、もし負けた時に「負けて悔しかったね」とたった一言、自分の悔しい、悲しい気持ちに寄り添ってもらうことができていたら、私はどれだけ救われていただろうかと感じることがあります。
心の底からわき上がる強い闘争本能に振り回される苦しい気持ち、勝ちたいというこだわりが満たされなかった悲しい気持ちに、もしたった一言でも寄り添ってもらうことができていたら・・・、
もしかしたら、自分の心の琴線に触れられて、私はもっと激しく泣いてしまっていたかもしれません。
けれど、そうして泣いた後は、自分の気持ちを分かってもらえた安心感が残っていたのではないかと思います。
そして、「誰も私の気持ちを分かってくれない」という悲しさを感じることは、なかっただろうなと思うのです。
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