今回はリブログ記事です。
別ウィンドウでは↓
このさだまさしさんの言葉、
惹かれました。
僕は、いったいどんな「じじぃ」
として、生きるべきなのか。
そう暗中模索しているうちに、
ふと、周りから「ヘンなじじぃ」と
呼ばれたいと思うようになった。
「フツー」ではなく、
あくまでも「ヘン」がいい。
自分の子供を育てるときに
心掛けてきたのも「フツーはダメ」
ということだった。
子供がちょっと変わったことを
したときも「すごい!ヘンでいい」
と褒(ほ)めてやった。
「良いヘン」と「ダメなヘン」が
あることは教えたが、「フツーはダメ」
ということだけは徹底してきた。
だから、自分もまた老人として
「ヘンなじじぃ」であり「やばい老人」
でありたいと思うのだ。
(中略)
僕が憧れる「じじぃ」、それも
「やばい老人」の条件は三つある。
その一 「知識が豊富」
その二 「どんな痛みも共有してくれる」
その三 「何かひとつでも
スゴイものを持っている」
僕の周りには、幸せなことに、
そんな「じじぃ」や「ばばぁ」が
たくさんいる。
彼らに追いつき追い越すためには、
まだまだ僕自身の経験値も実績も足りない。
どうしたら「ヘン」で「やばい」と
言われる「じじぃ」になれるか。
毎日が挑戦の日々である。
『やばい老人になろう』PHP研究所
いいですね、私も変でやばい
老人になりたいです(笑)。
その一とその三は、
法律とか芸術とかでしたら、
まあまあ知ってる方なので(?)、
今後の課題はその二かな?
さて、同じブログで、こんな記事も。
四〇歳を過ぎると「どこに行くか」
ではなくて、「誰と行くか」です。
(中略)
この四〇歳というのは、
人生の折り返し地点という
意味で捉えています。
平均寿命が八〇歳と仮定した話です。
自分が行きたいところ、食べたい物、
飲みたい物といった欲求を
最優先にするのではなく、
「誰と集うか」「誰と『園』をつくるのか」
が重要だということです。
(中略)
この価値観が身に染みて
わかってくるのが、
だいたい人生の半分を
折り返したあたりでしょう。
(中略)
このことに気がつくのは、
先ほども述べましたが、
四〇歳過ぎだとは言い切れません。
う~ん、こっちは私の価値観とは
違うなあ(正しいかどうかは別)。
好きなコンサートとか催し、
講演会、勉強会、ヨガ……など、
今でも1人でも行ってしまうから。
「1人では行きたくないけど
連れがいるなら行く」
というのは、本当に好きでは
ないのでは、と思うのですが。
もちろん、私も、友人から誘われて
「それほど好きではないけど
まあ行ってみようかな」
というのもありますし、
「近くの公園で弁当食べる」でも
気持ちの合う連れがいる方でしたら
楽しいでしょう、とは思います。
こちらは、小林正観さんの著書から
らしいですが、正観さんの言葉は、
他の方もよく引用されていますし、
私も感銘を受けることも多いのですが、
これについてはどうなのかな?
と思いました……。
私には最初の「変」「やばい」方が、
向いている気がします……。
それとも、私にはまだ、
折り返し点が来ていなくて、
ギネスに載るくらい、
長生きする、ということかな?
よく言えば気持ちが若い、
悪く言えば未熟なまま、
なのかもしれません。

