先日久しぶりに、胸の奥に何かがつかえたような状態になりました。
最近で、ここまでひとつの事を何度も思い出しては「こうしたほうが良いんじゃないか」「いや、やっぱりやめたほうが良いのではないのか」「そもそもわたしが決めることなのか」と思考に持っていかれたのは久しぶりでした。
まさに
これでした。
愛知で独り暮らしをしていた叔母が脳梗塞で入院。
叔母のひとり息子は10年くらい前に脳溢血で倒れて以降、身体の不自由さは増していき、今は介護施設で居住。言葉でのコミュニケーションは不可。
その息子である叔母の孫(成人)が愛知県内に居るが、コロナ禍以降、叔母に追い返されてから音沙汰無し。コロナ禍以前までは、叔母のところへお年玉を目的に年一回訪れていた程度。
最近まで、頻繁に顔を出していたのはわたし(名古屋在住の母の様子を見に通う次いでのイベントのようなものでした)
ということで、入院手続等する親族として白羽の矢が当たったのは、県外で遠いけれども私。という状況です。
胃ろうの手術をやるかやらないかの選択の最終判断を任されたことと、変わり果てた叔母の姿が映像として記憶に浮かぶ度に、それがリアリティを増して、完全にそこにあるかのごとくに、騙されてました。
そして、その場面の記憶を共有している人(ドクター、看護師)が多いことも、記憶=「間違いなく、そこにある過去」
になってしまいますね。
思考に騙されていることに全く気付けませんでした
本当に、、、南無阿弥陀仏。
もの凄い形で気付かせて下さいます✨️✨️✨️✨️✨️
いつも、ありがとうございます✨✨️✨️✨️✨️✨️
6/1声聞会に参加させていただくこと
とても楽しみにしております✨️
よろしくお願い致します。南無阿弥陀仏

