“我慢すれば丸く収まる”をやめた | 問いの途中

問いの途中

“こうあるべき”をほどきながら、
自分の声に耳をすませて生きています。
正解じゃなく、問いの途中を楽しむ人。

「自分が我慢すれば、すべて丸く収まる」


そんなふうに思ってきた。
実際、そうしてきた場面はたくさんあった。

 

ちょっとした言い返しを飲み込んだり、
自分の予定を後回しにして、相手を優先したり。
その方が空気が乱れないし、誰かが嫌な思いをしないで済むから。

 

でも、その“我慢”を続けた結果、
しんどくなるのはいつも自分だった。

 

怒りも不満も飲み込んで、
気づいたら「自分の感情を感じること」すら難しくなってた。


それを“いい人”って呼ぶなら、私はもうその役を降りたい。

我慢して、偉いふりをするのはやめる。


“自分を大事にする”ことは、わがままなんかじゃない。


むしろ、自分を犠牲にしてまで成立する人間関係なんて、
続ける意味があるのかさえ疑問になってきた。

 

我慢することで守っていたものは、
本当に大事なものだったんだろうか?

 

今は、嫌なことは「嫌だ」と言えるようになりたいと思ってる。
そのほうが、相手ともちゃんと向き合える関係がつくれる気がするから。

 

もう、自分を最後に回すのはやめよう。
ちゃんと、自分の感情も、大切にしていこう。