ご訪問ありがとうございますニコニコ


母の生前から


“お母さん”という

言葉のイメージと

実母が結びつかず


私の強制終了以降は


心から親切に接してくれた

複数の年上女性が

思い浮かびます。


(甘え放題ではなく

会った回数は少ないです)



母は私にこんなことをした

具体的にこんなにひどいと

表現できることがあまりなく


「わー、それは大変だったね」

「かわいそうだね」と人から

共感されることも少なかった

私でしたが…



亡くなった後

母を思い出すと


まとまった一人の人格というより


ネガティブな考えで

常に頭の中に漂う

黒い煙のようなイメージでした。



「アンタだけ特別」と母がくれたものの…母の没後半年で

急に金具が壊れました。



生前に親に向き合っていても


こんな影響があったのか

と、亡くなってから

気づくことがありますし


親と向き合ってきたからこそ

すっきりと訪れる

気づきもあるだろう

と考えます。



母にも

家族は大切、子どもはかわいい


という気持ちはあったと思いますが

それ以上に


(自分は損をしている!)

他者に役立つ情報なんて与えるものか


という前提が大きく


生涯一貫していたと感じます。



昔、毒親育ちを

北◯鮮のようだと

書かれた感想を

読んだことがありますが


バブルの余韻冷めやらぬ

資本主義下でも


そのようなことは

起きるのですね。



自分の工夫次第で


人生の前半をもっと

明るく過ごせたかと

考えることがありますが


無理があるように感じます。



これは、親に直接

伝えたことですが


赤ちゃんは、この世の全ての

常識を持って生まれ


父母が嘲笑ったり貶したりするのを

うまくいなしてご機嫌をとり


当然のように社会で成功する

訳ではありません。



そもそもそれなら

成熟した大人や親という

存在自体が不要なはずです。



母の人生(レベル)にとって

都合が悪いことは怒って

子ども(他人)のせいにするのが

正解だったのかもしれませんが


私にとってはそうではありません。



家族とは、役割・配役であって


実親だからベタベタと

感情的に交流しなくちゃ〜

というものではないと思います。



介護、病気、ほかの事由で

親元にいたとしても


自分を犠牲にして誤魔化さずに

自分を知り、歩もうとする人は

立派です。






没落する家系の血はこうして正す


こんな人と家族になりたくなかった!と思う相手